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海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

大分県立美術館(OPAM)「にっぽん芸術文化祭」(後編)


大分県立美術館(OPAM)「にっぽん芸術文化祭」(後編)

 

 次に見た展覧会は「おおいた美術散歩 OPAM & 豊の国」です。国民文化祭おおいた2018では大分県下を5つのブロックに分け、ブロックごとにテーマを掲げ、そのテーマに沿った芸術文化活動が展開されています。

 この展覧会は5つのブロックの特色ある美術品を展示するものです。



 出会いの場:大分市・別府市・由布市では、福田平八郎の「新雪」は代表作の一つで、県が6800万円で購入を予定している作品。高山辰雄の「食べる」は無心に何かを食べる幼な子の姿が感動的、同「豊かな濱邊」は郷土愛溢れる大作です。竹工芸の最初の人間国宝:生野祥雲斎の「炎」はモダンで緊張感のある美しさ。

 祈りの谷:豊後高田市・杵築市・宇佐市・国東市・姫島村・日出町では、鏝絵の「鯛廻し恵比寿」が愉快です。河合誓徳の「望郷」は故郷・国見町の風景が描かれた最晩年の作品。

 豊かな浦:佐伯市・臼杵市・津久見市では、作者不詳の「蒔絵螺鈿聖者像聖龕」は宗麟時代のキリシタンの貴重な文物。



 耕す里:竹田市・豊後大野市では田能村竹田の「稲川船遊図」は繊細な描線と鮮やかで深みのある色彩が目に清々しい作品で国の重要文化財。朝倉文夫の「墓守」は人物の内面まで表わしている深みある名作。



 水の森:中津市・日田市・九重町・玖珠町では、宇治山哲平の「童」は明るく楽しく、抽象画もいいなと思わせてくれる作品。岩沢重夫の「浜の朝」はかっちりとした構成と抒情性が同居した名作。



 もう一つは「OITA DESIGN POWER 2018「 Design Cafe 4」-おおいた文化の祭典- 」というイベントで、県内をはじめとする日本国内のクリエーター55組が、「デザインとの出逢い」をテーマに展覧会を開催していました。Facebook友達の杉本国雄さんが、自身がデザインされた「くにさき七島藺表」で作ったイスを出品していました。




 畳表の「くにさき七島藺表」は、国が地域ブランドとして保護する「地理的表示保護制度」に登録されている、日本で唯一の青筵の畳表です。江戸時代には大分県下の府内藩、日出藩、杵築藩で栽培が行われていました。現在の大分市の府内藩においても主要な産物でした。七島藺表は丈夫な事で知られ、昭和40年代までは柔道場のタタミは七島藺表で作られており、1964年の東京オリンピックの柔道場でも使われました。

 杉本さんもこの事はご存じで、2020年の東京オリンピックでも使われればいいなぁと話し合いました。

 しかし、最盛期の昭和10年の県下の生産量は、1600haで6,500,000枚が栽培されていたのですが、現在はわずか1haで3000枚、農家数も10軒ほどと、とんでもなく少ないのです。

 杉本さんにそっとお値段をおたずねしたところ、一脚が20万円ほどになるそうで、お求めやすい値段になることも課題のようです。

 今後も国民文化祭に協賛した展覧会やステージ・イベントが数多く開催されるようです。機会があれば、レポートします。

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大分県立美術館(OPAM)「にっぽん芸術文化祭」(前編)

 

大分県立美術館(OPAM)「にっぽん芸術文化祭」(前編)



 大分県立美術館では「第33回国民文化祭おおいた2018」「第18回全国障害者芸術・文化祭おおいた大会」の会期中に、「にっぽん芸術科学祭~過去、現在、そして未来へ~」と題する多彩な催し物が開催されています。更に「にっぽん芸術科学祭特別パス」を購入すると、大分芸術・文化友の会「びび」の年間パスポート¥2,500と、展覧会チケット¥3,600と駐車料¥400の合計¥4,000円がセットで、年会費¥3,000で購入できます。

 という訳でこのチケットを入手して、10/14(日)にさっそくOPAMを訪れました。


 最初に見学したのは「日本モダンの精華 京都国立近代美術館コレクション」で、近代日本画を中心に洋画、陶芸作品が展示されていました。



 本展の概要について、パンフレットに以下のように説明されています。「1200年以上にわたる歴史を通してわが国の文化の中心として発展してきた京都。この地では伝統と革新が溶け合いながら洗練された美術が育まれ、現代に至るまで、傑出した美術家を多数輩出してきました。

大分市出身の日本画家・福田平八郎もこの地で才能を開花させたひとり。写生派や琳派といった伝統を受け継ぎながら、卓越した造形感覚で新たな日本画の世界を切り拓いた京都画壇の巨匠です。


そして、福田の才能に惚れこみ、画業を支援したのが戦前の中国・大連で活躍した臼杵市出身の実業家・首藤 定氏(1890~1959)。
花菖蒲をはじめとする福田の戦前期の代表作が数多く含まれた「首藤コレクション」は、終戦直後の混乱期に飢えに苦しむ在留邦人を救済するため、食料と引き換えに旧ソ連に渡りましたが、1975年にその中の福田作品42点が日本政府に寄贈され、現在は京都国立近代美術館の所蔵となっています。



本展は、京都国立近代美術館の全面的なご協力のもと、日本画の竹内栖鳳、上村松園、村上華岳、洋画の梅原龍三郎、安井曾太郎、須田国太郎、工芸の富本憲吉、北大路魯山人、河井寛次郎ら京都ゆかりの作家たちの名品とともに、数奇な運命をたどり日本に戻ってきた「首藤コレクション」の福田作品19点を紹介します。古都の伝統と創意が育んだ「日本モダン」の精華を、この機会に心ゆくまでご堪能ください。」



 福田の作品と言えば、初期の傑作「鯉」(T10)、中期の名作「漣」(S7)、そして後期の代表作「雨」(S28)があげられるますが、今回の展観からも「円山四条派の写生から出発し昭和初期には清新な感覚的装飾性にむかいさらに戦後は独自の象徴性を加えた作風を展開し晩年には明るい色彩を多用した作品を描いた。(大分県立美術館HPより)」という作風の転換が見て取れます。

 なかでも首藤コレクションのひとつの「花菖蒲」は、尾形光琳の「燕子花図」を思わせる作品ですが、より平明で光に満ち、美しい作品でした。


(後編に続く)

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由布院温泉 名苑と名水の宿 梅園

153/234 その他の温泉 大分県由布市湯布院町川上2106-2

由布院温泉 名苑と名水の宿 梅園

 

♨この大きさの浴槽が掛け流しとは立派です♨

 

平成30年10月13日訪問

 

 次に訪ねたのは由布院盆地の南側の小高い丘に建つ高級旅館のこちらです。一万坪の敷地に本館14室、離れ12棟というお宿です。

 

 駐車場から上り坂をたどると本館があり、ここで受付をします。建物を取り囲むように広い庭園が広がっていて、水量豊富な馬場水源と黒鉄水源という湧水があるそうで、園内のどこでも水の音が聞こえます。驚いたことに九州で唯一、ミズバショウが自生しているそうです。また、別府の鉄輪むし湯で使われる薬草の石菖も自生していました。





 

 本館の裏手の小道を進むと、お目当ての大露天風呂「天心の大湯」がありました。清潔で広々とした脱衣所と、浴槽は3つで、由布岳の眺望と、美しい大自然の開放感あふれる露天岩風呂、内湯の檜風呂、ガラス屋根付き半露天の岩風呂で、どれも十分な広さがあります。





 

 湯はアルカリ性単純泉で、加水があるようですが、掛け流しです。この大きさの浴槽が掛け流しとは立派です。しかも、独り占めできましたので大満足でした。





 

【分析書データ】単純泉、60.0℃、PH7.3、成分総量623mg、無色・澄明・無味・無臭 H27.10.29 メタケイ酸245 炭酸水素イオン155 加水あり

 

入浴料 100円(CJO割引券)


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塚原温泉 山荘 四季庵

152/233 その他の温泉 大分県由布市湯布院町塚原黒笠木135-7

塚原温泉 山荘 四季庵

 

♨温泉は泉質名のない冷鉱泉です♨

 

平成30年10月13日訪問

 

 このような入湯記を記述し始めたは、平成21年8月16日で、最初の記事は「別府海浜砂湯」でした。以来、9年2カ月の間に1700湯の入湯を果たしました。やはり、別府八湯温泉道での入湯が多く、1065湯を数えています。

 

 

 さて、この日の一湯目は由布市の塚原高原のこちらです。地元情報誌の「シティ情報おおいた」の割引券での入湯です。大分県下で温泉旅館やビジネスホテルを展開するグローリアホテル・グループのお宿です。

 

 

 趣ある門を潜ると前庭が広がり、そこに堂々とした合掌造りの母屋が建っています。これは岐阜県の白川郷から移築したもので、築200年の木造五階建ての建物です。この母屋を回り込むように裏に向かうと、こじんまりとした湯小屋がありました。




 

 

 薄暗い脱衣所を出ると、思いの外小さな露天風呂がありました。正面には真北から眺める由布岳の山頂が見渡せます。

 

 

 温泉は泉質名のない冷鉱泉です。湯温が25℃以下の15.8℃で、メタケイ酸が75mg/で温泉ですが、療養泉としての泉質名は付きません。まぁ、井戸水を加温しているといったところでしょうか。

 

 

 紅葉の見ごろには少し早くいのですが、気持ちのいい青空が広がっていました。中庭ではヤギやアヒルがのんびりと日向ぼっこをしていました。

 

 

【分析書データ】泉質名なし、15.5℃、PH7.4、成分総量176.9mg、無色・澄明・無味・無臭 H27.5.23 メタケイ酸74.6 炭酸水素イオン67.2

 

入浴料 100円(CJO割引券)

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大分を彩るスポット再発見 ~うわさのタイムトリップ~豊後大野ジオパークを巡る(後編)


大分を彩るスポット再発見
~うわさのタイムトリップ~

豊後大野ジオパークを巡る(後編)



 さて、先を急ぎましょう。次は緒方町の「宮迫西・東磨崖仏」です。両磨崖仏ともに「国の史跡」に指定されています。

 おおいた豊後大野ジオパークのサイトを引用します。「宮迫東石仏・西石仏は、阿蘇-4火砕流堆積物の岩壁に彫り込まれた磨崖仏で、昭和9年に国史跡に指定されました。 東石仏の中央の像は大日如来、その右は不動明王像、左は毘沙門天像で、更にそれらの両脇に金剛力士像が彫り込まれています。近年まで牛馬の守り神として地域の人々の信仰を集めてきました。 西石仏は、阿弥陀・釈迦・薬師の如来三尊像で、東・西石仏とも造立の発願者は豊後武士「緒方三郎惟栄(これよし)と推定されています。」





 照明がなく薄暗い中での拝観でしたが、史跡指定前に地元住民によって彩色された顔料が鮮やかに残っているのが印象的でした。ただ、この彩色というかお化粧はお世辞にも上手とは言えず、仏様のお顔が’まぬけ’に見えるのはご愛敬でしょうか。





 西磨崖仏は石材が固く、彫刻も硬質な感があり、東磨崖仏は石材が柔らかいため、彫刻もおおらかに感じました。




 これまで、「国の重要文化財」や「国の史跡」、「県の有形文化財」などの用語を使ってきました。文化財については文化庁が定めた分類があります。建造物や美術工芸品の絵画・彫刻・書跡などの有形文化財のうち、重要なものを「重要文化財」といい、そのうち価値の高いものを「国宝」といいます。

 また、遺跡・名勝地・動植物と地質鉱物などの「記念物」のうち、重要なものを「史跡・名勝・天然記念物」といい、特に重要なものを「特別史跡・特別名勝・特別天然記念物」といいます。


 「菅尾石仏」は彫刻として重要なものであるので「国の重要文化財」に指定され、「記念物」とても重要なものとして「史跡」の二重指定を受けています。一方、「宮迫西・東磨崖仏」は「史跡」としてのみ指定されているのは、彫刻としての価値はそれほど高くはないということでしょう。




 「臼杵石仏」が国内で唯一、「国宝」と「特別史跡」の二重指定を受けているのは、大分県民にとって大変名誉な事なのです。

 大分県内には、「国宝」4件、「重要文化財」83件、「重要無形文化財」1件、「重要有形民俗文化財」4件、「重要無形民俗文化財」7件、「特別史跡」1件、「特別天然記念物」2件、「重要伝統的建造物群保存地区」2件、「重要文化的景観」3件が登録されています。




 次は緒方町の「出会橋、轟橋」で、アーチの長さが日本第1位と第2位がすぐそばに並んでいます。


 「出会橋」は豊肥線牧口駅(現豊後清川駅)が開業した折に鉄道へのアクセスをよくする目的で、大正13年に川の両岸の轟・平石地域の人々が協力して作った人道橋です。径間29.3mは日本第2位です。





 「轟橋」は昭和9年に、祖母傾山系の国有林から切り出される多量の木材を、トロッコ鉄道で運び出すために営林署が作りました。径間32.1mは日本第1位です。営林署が先に出来た「出合橋」を利用しなかったのは、強度が足りなかったのか、名もなき村民が作った橋を使うのは、プライドが許さなかったのか。




 河原に降りる道はすこし険しいですが、是非降りてみてください。深い峡谷とそれを形作る阿蘇溶結凝灰岩の柱状節理、奥岳川の清流とそこに架かる2つ美しいアーチ橋、一見の価値があります。




 今回の訪問地の最後は「沈堕の滝」です。ここの説明もおおいた豊後大野ジオパークのサイト引用します。「室町時代の水墨画家「雪舟」が「鎮田瀑図」を画いたことでも知られる「沈堕(ちんだ)の滝」は、阿蘇-4溶結凝灰岩の岩壁が崩落してできた滝で、雄滝(幅100m、高さ20m)と雌滝(幅10m、高さ18m)の
2つの滝があります。明治42年(1909)、大分~別府間を走る別大電車のために豊かな水量を活用した沈堕発電所が運転を開始。滝の上流部には幅115m、高さ5.5mの沈堕ダムが建設されました。」


 


 別大電車が開通したのは明治33年で、別府停留場(旧別府港前)から堀川停留場(大分市都町)間の約10.78kmの区間でした。当初は別府に火力発電所を作り(現在のゆめタウンの通り向かいのコンビニ・ローソンのあたりに全国2番目の火力発電所として設立)、電力を供給していました。しかし、更なる路線伸延と増便させるためには、より多くの電力を必要としました。そこで、沈堕の滝に水力発電のためのダムを作る事になったのです。




 時は流れて、滝の岩盤の崩落が続き、ダムの堰堤までも崩落する危険性が高くなったのと、名瀑を取り戻したいという地元住民の声に押され、九州電力が対策に乗り出したのは平成8年のことでした。滝の壁面にロックボルトを打込んで補強、河床は根固め工により洗掘を防止、ダム下流のエプロン部も補強。あわせて自然石や擬石を施して、豊後国志に「大野、緒方の二川、諸渓水を導き、ここに至り相合して一になり懸崖より下る。激水急湍、十三条。遠くから見れば氷柱の列、近づけば白い竜が雨を駆るようで、百雷が怒叫、飛雪が虹を吐く」と形容された十三条の姿を取り戻しました。国の登録記念物に指定されています。



 この後、道の駅きよかわで清川町から参加のお母さんと小学4年生の娘さんを下して、大分駅、別府亀川への帰路につきました。




 杉浦先生、山路先生、溝部学園の安達さん、赤木さん、白石さん、杉浦ゼミの学生さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。


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