海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

地獄ハイキング 「鶴見岳下山コース」ガイドレポート(後編)

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地獄ハイキング 「鶴見岳下山コース」ガイドレポート(後編)

温泉マイスター シニアマイスター 甲斐 心也


 標高1,375mの鶴見岳山頂に到着しました。ここからは北方に伽藍岳や大平山(扇山)が見えるはずです。別府市が編纂した「文化的景観 別府の湯けむり景観保存計画」には次のような記述があります。「高平山火山南方の大平山(792m)をなす火山で、角閃石安山岩と付随する火砕岩からなる。東側山体は緩やかな斜面をなし、浅い谷が多数入っている。山頂西側はかなり開析が進んでおり、急崖をなしている。」 また、大平山は地震による山体崩壊の跡と考えられ、人の手により毎年、山焼きが行われてきたため、今の様な姿になっています。」





 ここで鶴見岳の火山活動史をまとめておきます。国交省の「日本の活火山」からの引用です。「鶴見岳は,約6万年前より古い時代から噴火を継続している。しかし,鶴見岳の大部分を構成する溶岩は,約3万年前の姶良火山灰(AT)と,約7300年前の鬼界- アカホヤ火山灰(K-Ah)の間に噴出している。地形的には最も新しい山頂からの溶岩流も,K-Ahよりやや古い年代である。最新の噴出物は鶴見岳火山灰であり,約1800年前に山頂付近で発生したブルカノ式噴火によるものである。」 後で出てくる平安時代867(貞観9)年の噴火は水蒸気爆発で、溶岩や火砕流が流れ出したものではなかったようです。



 馬の背方面展望台まで降りてきました。ここからは鞍ケ戸・船底・内山・伽藍岳が遠望できます。また、豊後富士と呼ばれる由布岳の山頂部や、鶴見岳の噴火口である赤池噴気孔も見えるはずですが、霧に隠されていました。大分県が作成した「鶴見岳・伽藍岳火山防災ガイドブック(2)によれば、「鶴見岳山頂北側に噴気孔(地獄谷赤池噴気孔)があり、また火山群北端の伽藍岳には強い噴気活動が見られます。」とあります。近年では「1949(昭和24)年に鶴見岳の地獄谷赤池噴気孔で噴気活動が、1974-75(昭和49-50)年には、周囲に小石を吹き飛ばす噴気活動がありました。





 いよいよ下山を始めました。大小の火山岩と滑りやすい黒ボク土の急斜面を下ります。途中、南方に志高湖や城島高原が見えました。ふとももが張って足が前に出なくなるのを感じます。陽が陰って気温も下がって来たようです。この登山道は毎年4月に開催される「鶴見岳一気登山大会」のコースなので、ピンクと青のビニールテープが100m毎に枝先に結ばれているので、道に迷う心配はありません。









 ようやく御嶽権現社まで下ってきました。ここは火男火売(ほのおほのめ)神社の中宮に当たります。頂上に奥宮、麓の火売町に本社があります。大分県観光情報公式サイトには、「社伝によると771年(宝亀2年)に創祀されたとされています。鶴見岳の男嶽、女嶽の二峰を神格化した火男、火売の二神をお祀りしている社です。867年(貞観9年)120日に鶴見岳が噴火した際、朝廷から豊後国司への命で当社の神前で大般若経が読まれ、当社には噴火を鎮めた効により従五位上が授けられたとの記録があります。1276年(建治2年)には、九州各地を勧進していた一遍上人が立ち寄り、鶴見権現の導きにより「玖倍理湯の井」を鎮めて鉄輪温泉の石風呂(蒸し湯)を開いたとされ、別府八湯の守り神として信仰を集めています。」と紹介されています。






 参道の石段脇に大きな公孫樹の木があり、落葉が一帯を覆い尽くしています。木々の間から差し込む陽の光に映えて見事な光景です。石段の途中に湧き水があり、乾いたのどを潤してくれました。






 ゴールの権現社駐車場に到着しました。本来はスタート地点まで戻るはずですが、過酷なコースを想定して、あらかじめここまで車を回しておきました。車に乗り込む瞬間に、山頂に夕陽が差して、山全体が茜色に染まりました。









 気温の低下、霧に包まれた山頂、辛く苦しい下山道、下見をサボった事が完全に裏目に出てしまい、参加者の皆さん本当にお疲れ様でした。



 次回は来年度の4月の予定です。別府温泉地球博物館のHPで告知しますので、お楽しみに!!

地獄ハイキング 鶴見岳下山コース ガイドレポート(前編)

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地獄ハイキング 「鶴見岳下山コース」ガイドレポート(前編)

温泉マイスター シニアマイスター 甲斐 心也

 NPO法人別府温泉地球博物館主催の地獄ハイキング2019年度の秋第3回は、令和元年11月30日(土)、温泉マイスター限定で「鶴見岳下山コース」での開催でした。今回も新コースでの開催で、「日本一の温泉都市別府の母なる山(熱源)である鶴見岳を下山する」コースです。山頂の気温は3℃、別府湾から湧き出す雲で視界はままならず、下山ルートは想定外にきつい道のりで、まさに地獄ハイキングにふさわしいハードなものになりました。




 13:30にスタート地点の「別府ロープウェイべっぷ高原駅」に集合した参加者は、ガイドを勤めてくださる京大名誉教授の竹村恵二先生をはじめ総勢10人です。




 標高503mの別府高原駅から鶴見山頂駅までは、高低差792.5m、線路長1,816mで、わずか10分です。山上駅の展望台からは南方面に九重連山や志高湖が見渡せるはずですが、霧に包まれて何も見えませんでした。また、西方面は由布岳や猪の瀬戸湿原、由布院断層がありますが、これも五里霧中です。






 猪の瀬戸湿原について大分県のHPでは、「猪の瀬戸湿原は、標高約700mの高原に形成された湿原であり、やまなみハイウェイに沿い、城島高原の西端、鶴見岳と由布岳の間の南斜面に位置しています。ヨシやススキが広がり、サクラソウ等の貴重な植物が生育しています。また、阿蘇くじゅう国立公園の区域に含まれており、平成28年4月には環境省によって生物多様性保全上重要な湿地に選定されました。」と説明されています。

 

 東展望台に着きました。眼下に別府市街地に続く別府湾や国東半島が見渡せるはずですが、山塊を這うように立ち昇って来た霧で、全く何も見えません。



 大分市議会は「大分自動車道及び東九州自動車道の濃霧対策に関する意見書」を国交省に提出しました。「国土交通省のまとめた高速道路の「要因別通行止め時間ワーストランキング」では、2014 年度(平成26 年度)271 時間、2015 年度(平成27 年度)314 時間と2年連続で、「霧」、「災害・悪天候」の両部門で全国ワーストとなった。特に、大分自動車道湯布院ICから日出JCT間及び東九州自動車道速見ICから別府IC間においては、年間を通じて30メートル先も見えないような視界状態の濃霧がたびたび発生する。これは、別府湾方面から自動車道がある山側へ吹く風により、湿った空気が斜面を這い上がることで、空気が冷やされ空気中の水分が飽和状態に達して発生する滑昇霧が主な原因と考えられる。」と厄介者扱いし、その原因を説明しています。

 一方で由布院盆地に発生する朝霧について「おおいた遺産」のHPでは、「冷気とともに朝霧の季節がやってくる。放射冷却による霧は金鱗湖を中心にわき上がり、みるみる盆地を満たし、人々が目を覚ますころには辺りはまさに霧の湖底。大分県には盆地が多く、各地で朝霧が発生する。日田、安心院など。中でも由布院(由布市湯布院町)の濃い霧は名物で、その光景は幻想的でさえある。(中略)霧は濃い。秋深まる朝、旅人は大分自動車道、九州横断道路から霧の湖を見下ろす。そして霧の底には、里人とともに多くの観光客がいることを。信夫はさらに「私の思ひは湯の滝山の朝の霧より深い」と詠む。」と褒めたたえています。

  

 山頂近くに大分県の民放各社のテレビアンテナが建っていますが、その陰に隠れるように「京都大学鶴見岳観測室」があります。京大は鶴見岳・伽藍岳周辺において、鶴見岳山頂付近に鶴見岳観測室を置き、別府湾周辺の高崎山・鶴見岳・天間・唐木山・別府市地球熱学研究施設に短周期地震計を設置しています。




(後編に続く)

第10回日本ジオパーク全国大会2019大分大会のパネルディスカッションを聴講しました

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10回日本ジオパーク全国大会2019大分大会の

パネルディスカッションを聴講しました                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

 第10回日本ジオパーク全国大会2019大分大会が2019年10月31日(木)~11月5日(日)の日程で、豊後大野市・姫島村・大分市を舞台に開催されました。



 「ジオパーク」とは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいいます。」と日本ジオパークネットワークのHPには記載されています。

 さらに日本ジオパーク委員会のHPでは、「●地域の地史や地質現象がよくわかる地質遺産を多数含むだけでなく、考古学的・生態学的もしくは文化的な価値のあるサイトも含む、明瞭に境界を定められた地域である。●公的機関・地域社会ならびに民間団体によるしっかりした運営組織と運営・財政計画を持つ。●ジオツーリズムなどを通じて、地域の持続可能な社会・経済発展を育成する。●博物館、自然観察路、ガイド付きツアーなどにより、地球科学や環境問題に関する教育・普及活動を行う。●それぞれの地域の伝統と法に基づき地質遺産を確実に保護する。●世界的ネットワークの一員として、相互に情報交換を行い、会議に参加し、ネットワークを積極的に活性化させる。」と定義しています。


 つまり、地質遺産を保護することだけでなく。運営組織と財政基盤を明確にし、地域の持続可能な社会・経済発展を育み、教育・普及活動を行い、相互のネットワークを活性化させる事を目的としています。



 一方、生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)という活動もあり、文科省のHPでは、「ユネスコエコパーク-(生物圏保存地域)は、生物多様性の保護を目的に、ユネスコ人間と生物圏(MAB)計画(1971年に開始した、自然及び天然資源の持続可能な利用と保護に関する科学的研究を行う政府間共同事業)の一環として1976年に開始されました。(中略)世界自然遺産が、顕著な普遍的価値を有する自然を厳格に保護することを主目的とするのに対し、ユネスコエコパークは自然保護と地域の人々の生活(人間の干渉を含む生態系の保全と経済社会活動)とが両立した持続的な発展を目指しています。(後略)」と定義されています。


 

 ここでは、生物多様性の保護を目的に、自然保護と地域の人々の生活を両立した持続的な発展を目指していますが、その違いは難解です。


 大分県には豊後大野市と姫島村の2カ所が登録されていますが、そのテーマは豊後大野市が「巨大火砕流から9万年 生命を紡ぐ豊後の水と生命の彩り 豊後大野の大地は、今からおよそ9万年前に起きた阿蘇火山の巨大噴火による火砕流に埋め尽くされました。その後、やがてそこに水が流れ、命が生まれ、豊かな大地がよみがえりました。水と大地は命あるすべての源であり、そこで営まれる「生活=いのちき」とともに支え合い、繋がっています。そのことを「彩り」という言葉で表現しました。」としています。



 一方姫島村は、「火山が生み出した神秘の島 姫島のジオテーマは、「火山が生み出した神秘の島」 サブテーマ:~姫島ジオの七不思議を巡る旅~です。 日本列島は、環太平洋火山帯に位置し、火山列島とも称されます。
 大分県は、その火山列島の中でも火山の影響と、付加体構造の両面性を持つ、日本列島の縮図といえます。  温泉で有名な大分県は、現在も火山活動や、地熱の恩恵を一身に受ける「大地の恵み」を受けていますが、火山活動によって生まれた姫島は、まさに大分県を象徴する島といえます。 火山活動等の地球活動が、大地を形成し、産出される大地のカケラが人類を生み、大地の鼓動が人々の暮らしを支えたことで歴史が紡がれてきました。 姫島の黒曜石は、まさに脈打つ大地の鼓動が生みだし、人々は、黒曜石を加工しながら時間を重ね、西日本各地に展開するさまざまな遺跡で発掘される姫島の黒曜石は、人々の生活、文化を育んできました。 火山活動が生み出した島で繰り広げられてきた人と自然のドラマが、現在の姫島と、今を生きる人々につながってきたのです。 火山活動が生み出した島では、産業構造変化として黒曜石に始まる石器の素材採取から中近世では製塩、畜産につながり、現在は沿岸漁業、養殖産業に展開します。 つまり、姫島の風景は、旧石器・縄文時代から始まる人々のくらしによって変化してきたのです。現在では、瀬戸内海国立公園に編入され、瀬戸内海の一番西側に位置することとなった姫島では、火山活動から約20万年後の「人」と「自然」と「時間」を体感できる大パノラマが広がっています。 火山活動の痕跡をはじめとする自然と、それらによって育まれてきた、地域の歴史と文化は、過去、現在から未来に生きる地域の人々に、様々な大地の恵みを与えてくれているのです」としています。



 さて聴講したパネルディスカッションですが、コーディネーターは京都大学名誉教授の竹村恵二先生で、パネラーとしてNHKの人気番組「ブラタモリ」の相部任宏チーフプロデューサー、立命館アジア太平洋大のバファダリ・カゼム准教授、NPO法人桜島ミュージアムの福島大輔理事長、NPO法人おくぶんごツーリズム研究所(豊後大野市)の渡部順子理事長の4人です。

 パネラーの発言を要約するのは無理ですが、ガイドツァーで不機嫌な様子なのはたいてい「おじさん」で、おじさんはそうゆうものだと割り切ることが大切ですとの指摘は、そのとおりと喝采できました。

地獄ハイキング 「観海寺~スパビーチ・コース」参加レポート(後編)

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地獄ハイキング 「観海寺~スパビーチ・コース」参加レポート(後編)

温泉マイスター シニアマイスター 甲斐 心也


 

 住宅地の中を大通りまで下ると、山の手交番の瀟洒な建物が見えてきました。ハーフチェンバー様式の山小屋のような素敵な建物です。





 ここから板地川の河川敷に降りて、河原の遊歩道を歩きます。川の傾斜によって滝になっていたり、階段状に水が下っていたりと変化に富んでいて、なかなか面白い遊歩道です。






 翔青高校の正門前に着きました。ここから境川のほとりに向かう途中に古い道標がたっていました。南に向いた面に「別府町」、北の面には「石垣村」と刻まれていました。別府町と石垣村は境川を境にしていたのです。というか、2町村の坂井を流れているから境川と名付けられたのですね。石垣村が別府市に編入されたのが昭和10(1935)年ですから、それまでの別府市の北端は境川で、明礬温泉も、鉄輪温泉も、柴石温泉も、亀川温泉も別府市ではなかったという事です。






 芝居の湯前に着きました。ここの正式名称は「別府市コミュニケーションセンター」といい、江戸時代の芝居小屋を模した桟敷席のある芝居小屋が再現されています。それで通称「芝居の湯」という訳です。別府市営給湯事業の石垣線系統で、堀田源泉の湯を尾の上泉源で再加熱して供給されていて、はっきりした硫黄香があるのが自慢です。硫黄成分の湯の花が布袋で漉し取られているのがもったいないですね。






 ここでもう一度河川敷に降りて、境川との合流点に向かいます。ホテル別府パストラルのすぐ下のあたりが合流点で、川幅が一挙に広くなりました。



 境川は別府扇状地の中央部を西から東に流れる川で、その起源は鶴見岳の火砕流と、その岩石を扇状地の下方に運んだ土石流にあります。したがって、この川は雨の時にだけ水の流れる「水無川」だったのです。

 境川の堤防は、別府駅側は時代が古く、土手がなく家屋が堤防ギリギリまで迫っています。それに対して亀川側は時代が新しく、広い土手と道路を隔てて家屋が建てられています。これは別府側は古くから住宅街になっていたのに対し、亀川側は最近まで田んぼや畑が広がっていて住宅が少なかった事を示しています。最近になって堤防が作られるとともに親水公園としての活用が図られたもののようです。




 大分県のHPに次の記事がありました。「当時、石ころや雑草の多かった別府市境川の河原の一部が美しい砂防公園になった。これは、県が建設省の補助を得て、九州では初めての砂防環境整備事業として昭和
50年度から工事を進めていたものである。河川を安全にすると同時に、緑と水辺の空間を確保し、沿線住民の憩いと安らぎの場を創造するユニークな事業で、昭和51年に天満橋上流約100メートルの区間が完成した。」




 亀川側の堤防上に「ミズハネサマ」と呼ばれる小さな祠が数カ所に祀られています。これは境川の堤防が決壊する恐れが生じたときに、ミズハネサマのある場所の堤防を切り、亀川側に水を流すための目印だそうです。ここのミズハネサマは臼杵石仏の大日如来の頭部でした。






 天満神社付近まで下ってきました。川幅は一層広くなり、立派な階段状の水路がありました。後で調べて分かったのですが、川幅が広くなっているのではなく砂防堰堤というもので、国交省のHPでは、「土石流など上流から流れ出る有害な土砂を受け止め、貯まった土砂を少しずつ流すことにより下流に流れる土砂の量を調節する施設です。土砂が砂防堰堤にたまることで川の勾配が緩やかになり、川底や河岸が削られていくのを防ぐとともに、土石流の破壊力を弱めます。また、両岸の山すそを固定し、山の斜面の崩れを防ぐ働きもあります。」と説明されていました。






 国道10号線にかかる橋の上から境川の河口が望めます。若草港は使われなくなったのか、漁船が一艘も停泊していません。別府港を岸壁を進み、市営温泉の北浜温泉テルマスの横を通って、ゴールのスパビーチに到着しました。






 ここは毎年四月に行われる「鶴見岳一気登山大会」のスタート地点です。大分合同新聞4/15朝刊、「第32回べっぷ鶴見岳一気登山大会が14日、別府市であった。参加者は海抜0メートルのスパビーチをスタートし、境川沿いの桜などを満喫しながら、標高1375メートルの鶴見岳を目指した。県内外から3280人がエントリーした。開会式では、市観光協会の梅野雅子会長、川上隆副市長が「気持ちの良い空気の中で、自然や湯煙を楽しみながら登ってほしい」とあいさつ。遠来者の兼元さやこさん(49)=那覇市=を表彰した。兼元さんは「知人の誘いで初めて参加した。頑張ります」と話した。コースは3部門。山頂までの約12キロで健脚を競う「いだてん天狗(てんぐ)タイムレースコース」、それぞれのペースで歩く「のびのびさくらウォーク」、麓までの8キロを歩く「GO・GO・GOハーフウォーク」があり、参加者が爽やかな汗を流した。」






 これでで今回の全行程を完了しました。参加者の皆さん本当にお疲れ様でした。




 次回は11月30日(土)に温泉マイスター限定で、新コース「鶴見岳下山コース」を予定しています。往路はロープウェイで楽々登山、復路の下山をハイキングします。今も噴煙を上げ続けている赤池噴気孔や、山頂からの雄大な眺めにご期待ください。



地獄ハイキング 「観海寺~スパビーチ・コース」参加レポート(前編)

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地獄ハイキング 「観海寺~スパビーチ・コース」参加レポート(前編)

温泉マイスター シニアマイスター 甲斐 心也



 NPO法人別府温泉地球博物館主催の地獄ハイキング2019年度の秋第2回は、令和元年10月27日(土)、一般参加で「観海寺~スパビーチ・コース」での開催でした。今回は新コースでの開催ですが、2017年12月2日に実施した「堀田~観海寺~鶴見地獄コース」の続きのコースで、2つのコースを踏破すると、板地川の源流から境川に合流して別府湾に注ぐまでを歩き切ることになります。この日は別府公園で「大分県農林水産祭」が行われており、市街地はかなりの渋滞ありましたが、秋の青空の下で爽快なハイキングになりました。


 13:30にスタート地点の「霊泉寺バス停」に集合した参加者は、ガイドを勤めてくださる京大名誉教授の竹村恵二先生をはじめ総勢11人です。



 スタート地点の霊泉寺境内に鶴見地獄があります。前回のハイキングレポートから引用します。「霊泉寺境内に直径15mほどの池があり、やや奥よりから源泉が勢いよく湧き出しています。池の湯を指で触れてみると、沸騰状態ではなく60~70℃位の感じで、薄い塩化物泉のようです。湯の色はややくすんだ水色で、大きさといい色といい、やや地味な感がありました。」



 「油屋熊八が少女ガイドを乗せた地獄めぐり遊覧バスの運行を開始したのが昭和3年で、それ以前から人口に膾炙していたのは血の池地獄と坊主地獄、明治43年に観覧料と取るようになった海地獄と大正12年開園の龍巻地獄くらいだったようです。その後、昭和3年に八幡地獄、昭和6年に白池地獄の開園が続き、鬼山地獄、かまど地獄(昭和30年代前半までは、今の場所ではなく血の池地獄の北山手にありました)などが続々と開園し、今の地獄めぐりの姿になりました。」 



 鶴見地獄から少し奥の朝見川断層の崖下に旧八幡地獄があります。ここでも前回のレポートを引用します。「敷地の奥に轟々と噴気をあげる源泉口があります。これが「八幡地獄」の泉源で、噴気と共に湯が湧き出していて、湯川となって流れ出しています。指では触れられない熱さで、まさに沸騰泉です。「ブラタモリ」での近江アナウンサーの測定では99℃でした。戦前は噴泉池の他に「怪物館」なるものがあり、鬼・人魚・河童などの骨や剥製が展示されていたそうです。」

 

 前回と違っていたのはバイナリー発電所が出来ていた事です。泉温99℃では通常の地熱発電は無理だからです。九州電力のHPのバイナリー発電の説明、「バイナリー発電とは、加熱源により沸点の低い媒体を加熱・蒸発させてその蒸気でタービンを回す方式です。加熱源系統と媒体系統の二つの熱サイクルを利用して発電することから、バイナリーサイクル(Binary※ -Cycle)発電と呼ばれており、地熱発電などで利用されています。  地熱バイナリー発電では、低沸点媒体を利用することにより、媒体の加熱源に従来方式では利用できない低温の蒸気・熱水を利用することができます。  発電システムとしては、加熱源としての蒸気・熱水サイクルと代替フロンを用いた媒体サイクルで構成されており、これに対して、従来方式は蒸気・熱水サイクルのみで構成されています。」




 南立石小学校の前に来ました。石垣は阿蘇カルデラ噴火の火災流が冷え固まってできた阿蘇溶結凝灰岩です。阿蘇山は約30万年前に最初の噴火が起こり、多量のマグマを放出した後が陥没してカルデラを形成しました。その後も3度の大噴火を起こしますが、最後の大噴火は約9年万前で、火砕流は大分県下にまで達し、場所によっては100mもの厚さで堆積しています。この岩石は比較的柔らかく加工しやすいので、県下のあちこちに磨崖仏が作られたり、石橋が掛けられたりしました。石橋が懸けられた峡谷は、溶結凝灰岩を河川が9万年かけて削ってできたものなのです。国宝の臼杵石仏も、竹田市の岡城址の石垣も、三重町と野津町をつなぐ虹澗橋も、みんな阿蘇溶結凝灰岩で出来ています。



 南立石公園の正門前に着きました。都市型の総合公園で広さは10.85ヘクタールあります。桜、梅、楠、金木犀が多く植えられています。園内のあちこちに別府石の巨石がありますが、公園整備の過程で重機でも移動させることができず、そのままの場所に放置されているようです。別府石は約1万年前の鶴見岳の噴火の際に、火砕流として流れ出した角閃石安山岩です。



 昭和初期までの別府は別荘地の開発も盛んに行われていました。別府市が作成した「文化的景観 別府の湯けむり景観保存計画」の第八章に次の記述があります。「別荘開発の先駆者は、前述の海地獄を買収した千寿吉彦である。千寿は前述の通り海地獄を源泉として「温泉付き別荘地」の開発を鉄輪温泉に隣接する一帯を新別府と称して進めた。別荘分譲地は標準区画を300坪として売り出した。  その後、愛媛県出身の多田次平が大正11年(1922)六角温泉・荘園地区の開発に着手した。しかし、この開発は資金繰りが行き詰まり途中で頓挫するという憂き目に合った。その後を継いだのは、久留米絣で財を成した国武金太郎であった。この六角温泉・荘園地区の開発は大阪の財界が後ろ盾となったとも言われている。」



 敷地の真ん中にロータリーを配置し、6方に放射状に道を造り、それに沿って別荘地が造成されている光景は、一見の価値がありますよ。

(後編に続く)

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