海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

別府温泉 海門寺温泉 -  幻の「山の手まわりの電車会社」その②

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11-38

980

別府八湯温泉道

No.18

別府

野口温泉

 

幻の「山の手まわりの電車会社」その②

 

平成29年12月23日訪問


この日の〆はこちら。冬の共同浴場でちょっと困るのが、髪を乾かす手立てがない事だ。ここならドライヤーの有料貸出があるので、その心配はいらない。

新築以来、入浴客が引きも切らぬほどの人気ぶりだが、この日も昼前の時間帯でも7~8人の先客があり、洗い場が順番待ちになるほどだった。


10分ほどすると、蜘蛛の子を散らすように入浴者が去り、無人になるという場面に出くわした。ぬる湯を貸し切りでじっくり味わった。


「山の手まわりの電車会社」の続き。出資者に名を連ねていたのは、筑豊の石炭王で現麻生副総理の曾祖父の麻生太吉、「電力の鬼」と呼ばれ東邦電力を設立した松永安左エ門、川崎造船所社長で西洋絵画の「松方コレクション」で知られる松方幸次郎、海地獄を買収して新別府に高級別荘地を拓いた千寿吉彦などであった。(続く)

ナトリウム-炭酸水素塩泉、47.3℃、PH7.5
成分総量1204㎎、無色・澄明・無味・無臭 22/1/27

¥100


別府温泉 野口温泉 - 幻の「山の手まわりの電車会社」その①

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11-37

979

別府八湯温泉道

No.18

別府

野口温泉

 

幻の「山の手まわりの電車会社」その①

 

平成29年12月23日訪問


この日の3湯目は旧小倉街道に面して立つこちら。古い歴史を持つ共同浴場で、当初は南立石村の白湯温泉を引湯しており、皮膚病に対して医療効果があり、入浴客が後を絶たなかったそうだ。


今の建物は戦後に建て替えられたもので、鉄筋2階建てで一階が浴場、二階が公民館になっている。分析書によれば源泉は杉乃井ホテルから提供されているようで、それが掛け流しとは有り難い。


大分合同新聞の「別府今昔物語」の第102話に「山の手まわりの電車会社」があり、明治44年に九州財界の大物の出資により、別府温泉回遊鉄道㈱という会社が設立されたという。「流川通→山の手(鶴見園)→鉄輪→亀川→旧国道→別府港桟橋」を結ぶ回遊電車を走らせようという壮大な計画だ。これが実現していれば、ここの前の道は電車通りになっていたのだろう。(続く)

単純泉、72.0℃、PH6.6、成分総量765㎎、源泉:株式会社 杉乃井ホテル

¥100


別府温泉 大和温泉 - 市営給湯の引湯管のつくり

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11-36

978

別府八湯温泉道

No.191

別府

大和温泉

 

市営給湯の引湯管のつくり

 

平成29年12月23日訪問


2湯目は野口元町のこちら。駅前から富士見4丁目に抜ける道路から、狭い路地を入った先にあり、地区の公民館と共同浴場が別棟というのは、別府では珍しいものだ。


6段の階段を下りた先に脱衣所と一体の浴室があり、こちらも先客はなく貸し切りで湯を頂いた。ここは市有鶴見園源泉からの引き湯で、富士見線の最下流部にあたる。戦後昭和27年に創設されたとあり、半地下式の浴室なのは、当初は自家源泉だったのかもしれない。無色・透明、さっぱり熱めの単純泉で、この季節でも油断をすると浴後に汗が引かず、肩や背中が冷えてしまう恐れがある。


「大分県温泉調査研究会」の昭和37年5月の報告書の「別府温泉における引き湯(第一報)」によれば、「別府での引湯管は伝統的に土管が用いられていて、その周りに管径とほぼ同じ厚さに三和土(たたき、土や砂利に石灰とニガリを混ぜたもの)または四和土(さらにセメントを混ぜたもの)をまきつけ、それを地下60~100cm程度の深さに埋設しており」とあったが、現在はどうなのだろうか。

単純泉、59.3℃、PH8.0、成分総量794mg、
無色・澄明・無味・無臭、別府市営鶴見園源泉

¥100


別府温泉 春日温泉 - 旧小倉街道(旧国道)沿いに点在する共同浴場

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11-35

977

別府八湯温泉道

No.89

別府

春日温泉

 

旧小倉街道(旧国道)沿いに点在する共同浴場

 

平成29年12月23日訪問


この日は午前中に、別府駅の東側の旧小倉街道(旧国道)沿いに点在する共同浴場を回る予定だ。

この界隈には昔の行合町遊郭あとの北部旅館街や国の登録有形文化財に申請中の「山田別荘」、江戸時代に建てられ、終戦後から俳人の秋吉良聞とともに別府俳壇を彩った「良聞居」などの歴史ある建物が残されている。

入口の狭い路地を進み浴室に入ると、東の窓から朝日が差し込み、浴槽を温かく照らしていた。先客はなく、敷地内から汲み上げられている自家源泉がゆるゆると掛け流されていた。


湯は無色・透明、熱めでさっぱりとした重曹泉。お薬師様の足元に源泉口があり、木栓を抜くと熱めの湯が滔々と注がれて、冷えた身体を温めてくれた。



ナトリウム-炭酸水素塩泉、58.0℃、PH7.7、
成分総量1220mg、
無色・澄明・殆ど無味・殆ど無臭 20/5/28

¥100



2017「おおいた遺産」モニターツアー -大分市編-

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2017おおいた遺産」モニターツアー

大分市編

 

平成29年12月17日

 

 一般社団法人大分学研究会では、今年度「おおいた遺産」を巡るモニターツアーを5回シリーズで開催しています。その第四回は大分市編で、平成29年12月17日(日)に開催されました。

 今年一番の冷え込みの天気予報でしたが、時折薄日が差すとはいえ、予報通りの北風の冷たい一日でした。

 

 別府からの参加者を乗せたバスは、大分駅前に8:50に到着し、本日の同行講師の大分市教育委員会の坪根伸也氏を迎え、最初の訪問地の国指定史跡の「大友氏遺跡」へ向かいました。

 「大友氏遺跡」は、「14 世紀から16 世紀末にかけて本市の東部大分川河口付近の左岸に形成された都市「豊後府内」の一部を構成する中世大友府内町跡の中心的な遺跡である。中世大友府内町跡は、豊後国の守護大友氏の拠点としての役割を担ってきた「戦国大名の館を中心に発展したまち」であると同時に、戦国時代には中国・朝鮮半島・東南アジア地域との貿易により繁栄した「国際貿易都市」という二つの性格を併せ持った遺跡である。平成8年度から本格化した発掘調査により、次第にその具体像が明らかとなりつつあり、調査成果をもとに史跡指定が進んでいる。(大分市「史跡大友氏遺跡整備基本計画(第1期)より)」と説明されています。


 大友末期の薩摩島津氏の進攻の際に焼き討ちに会い、江戸期に入ると居城が海に近い現府内城に移ったため、当時の庭園遺構や整地された跡、掘立柱建物跡などの中世大友府内町跡が状態よく残されています。


 残念なのは、南蛮文化に関する遺跡が確認されていない(場所は特定できている)点で、たとえばゼウス堂(天主堂)跡などが確認されれば、さらに貴重なものと認められるでしょう。

 

 次に向かったのは「大分県埋蔵文化財センター」で、 埋蔵文化財の調査、整理、保管、公開などの業務を行う県の行政機関です。こちらには2つの常設展示室があり、 考古資料による通史展示の「豊の国考古館」と、大友氏遺跡に関する展示を行う「BVNGO(豊後)大友資料館」です。

 考古資料については、かなり充実した展示内容で、親指大の「犬型土製品」のおおらかさとかわいらしさに目を奪われました。また、「話題の資料展」では、シカの文様を線刻した土器が展示されていました。「弥生時代中期後半の壺2個体で、ひとつは口縁部に2頭のシカと思われる動物、もう1個体は8点の矢じり状の線刻を連ねたものが描かれています。2頭のシカは頭や角、体もリアルに表現されています。弥生時代の動物絵画土器としては県内初の出土ですともに豊穣を祈る農耕祭祀に使われたものでしょう。」 (センターFaceBookより)




 大友資料館は大友氏が400年 に渡って豊後国を支配した歴史遺産が展示されていますが、南蛮文化やキリシタン信仰に関する展示は手薄で、前述のゼウス堂(天主堂)跡などの発掘調査が待たれるところです。

 

 次に戸次の「帆足本家 富春館」に向かい、蔵を改造したレストランでの昼食です。戸次名物のゴボウを使ったヘルシーメニューで、美味しくいただきましたが、料理の提供があまりにも遅く、ずいぶん待たされてしまいました。


 「帆足家は、12世紀初め玖珠郡に興る。家系図によると豊後守護職大友氏と主従関係を結び1586年(天正14年)戸次市村に居を定め、江戸時代に入ってからは臼杵藩稲葉氏領の庄屋となった。
 (中略)このような戸次市にあって、帆足家は農業のかたわら造酒を業として産をなした家である。現在の母屋「富春館」は一八六三年(慶応元年)臼杵の名棟梁高橋団内の作になるもの、式台付玄関など武家の家構えの特徴をもつ、館号「富春」は帆足家醸の銘酒を意味し頼山陽によってこの名を伝えた。
 豊後竹田の出身で文人画家、田能村竹田が初めて帆足家を尋ねたのが1816年(文化13年)と言われ、その後幾度となく訪れ詩画を書き時には、帆足家の為に絵を書いた。

(中略)帆足家は竹田の良き理解者となり、富春館は多くの文人画を楽しむ自由人たちのサロンとなった。」(帆足本家HPより)


 帆足家が所有する田能村竹田の絵画26点はすべて国の重要文化財に指定され、大分市美術館に寄託されているそうで、当家の代々が芸術家のパトロンとしていかに大きな役割を果たしてきたかが伺えます。

 

 次は「大分スポーツ公園 大分銀行ドーム」ですが、現在、シーズンオフの改修工事中で、しかもこの日は工事をお休みという事で、ピッチに立つことができました。また、選手のロッカールームや、大分国体の際に天皇皇后両陛下が観戦された貴賓室まで見学させていただきました。




 大銀ドームは、2002年ワールドカップサッカーの会場として総工費251億円を費やして造られたスタジアムです。以前はビッグアイと呼ばれていましたが、今は大分銀行に名前が貸し出され大銀ドームと呼ばれています。サッカーJ2の大分トリニータのホームスタジアムとしても使われています。

 2019年ラクビーW杯日本大会では、準決勝2試合を含む全5試合がここで行われます。

 「大分銀行ドームの可動屋根は世界最大級で、固定屋根の上を滑るようにスライドして開閉します。可動屋根には昼間閉じた時に内部が暗くならないよう、太陽光を通しやすい膜(PTFEコーティッドガラス繊維一重膜、透光率25%)を用いています。 骨組みは三角格子(トラス)の鉄骨を組み合わせて作られております。」(大分スポーツ公園HPより)


 2008年に大銀ドームをメイン会場として開催された「チャレンジ!おおいた国体」において、成年男子400mハードルで大分県佐伯市出身の成迫健児選手が、見事優勝を成し遂げた場面が、この目に焼き付いています。

 

 続いて鶴崎の「毛利空桑記念館」を訪ねました。記念館のHPには、「幕末から明治初めに活躍した儒学者・教育家・尊皇論者。名は倹、通称は到、空桑は号です。鶴崎の脇蘭室、日出の帆足万里に学び、また熊本の大城霞坪、福岡の亀井昭陽に教えを受けました。文政7年(1824)に郷里の常行村(現大字常行)に私塾・知来館を開き、後には鶴崎の熊本藩士子弟の指導方にも任じられました。「文ありて武なきは真の文人にあらず。武ありて文なきは真の武人にあらず」を信念とした剛毅端正な人で、勤倹を実践して子弟の指導にあたりました。」とあります。


 私には江戸時代の儒学者とか思想家とか教育者とかの業績がきちんと理解できないのですが、空想もその一人です。魚の鱗が夕日に照らされて金色に輝くのを見て、由布院の「金鱗湖」の名付け親となった事を知っていたくらいです。

 「空桑思索の道」と名付けられた公園の一角に、勝海舟と坂本龍馬の石像があります。文久4年(1864年)オランダ、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国の下関砲撃中止の交渉のため、幕府から長崎出張の命を受けた二人は、大阪から海路で佐賀関に渡り、鶴崎の徳応寺で一泊し、肥後街道を通って長崎を目指したという事です。


 

 夕暮れ迫る中、最後の訪問地「蔣山(まこもさん)万寿寺」に到着しました。「臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は釈迦三尊像です。徳治元年(13065代大友貞親〔さだちか〕が博多(福岡市)の承天寺の僧直翁智侃禅師を開山に請じて諸堂を建立しました。これが開基とされ、当時禅寺五山十刹の一つに数えられて寺運は隆盛したといわれています。天正14年(1586)、島津氏の兵火に焼かれ、一時廃寺となっていましたが、江戸時代初期の寛永10年(1633)に僧丹山が、府内城主竹中重義の援助を受けて現在地に再興しました。広々とした境内には本堂・庫裡・仏殿・禅堂・経蔵・観音堂・山門などが立ち並んでいます。」(大分市のHPより)




 ここは我が家からほど近く、夏場は時々散歩に来ますが、早朝の凛とした僧堂の佇まいと、読経の声に身の引き締まる思いがします。そして、大晦日には除夜の鐘を突いて、新年の安寧を祈願します。ふるまいの甘酒が冷えた身体を温めてくれます。

 

 地元におりながら、知ってはいてもわざわざ訪れることのなかった遺産を訪問でき、とても勉強になった一日でした。次回は2月に臼杵・津久見・佐伯市の県南コースの予定です。



別府温泉 的ヶ浜温泉 - 若者にも、ぜひともファンになって欲しい

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11-34

976

別府八湯温泉道

No.177

別府

的ヶ浜温泉

 

若者にも、ぜひともファンになって欲しい

 

平成29年12月16日訪問


亀川の四の湯温泉を訪ねたら、6の付く日は定休日だった。しからばこちらでと、小雪の舞う中ここを訪ねた。

着いた時には一人の若者が居り、長々と身体を延ばして入浴中だった。「ケロヨン桶」を持参しており、同好の士とみて声をかけた。別府市内に居住しており、最近はあちこちの共同浴場を訪ねていて、この後も京町温泉・天満温泉を回る予定だそうだ。ここの湯の特徴を聞かれたので、別府では比較的珍しいカルシウムやマグネシウムを含んだ「土類泉」で、湯上りはすこしカサカサ感があると伝えた。




共同浴場の若者離れが懸念される中、様々な共同浴場がそれぞれに特徴の違う湯を持ち、人々のふれあいを通じて大切に守られている。ぜひともファンになって欲しいなと思った。


ナトリウム・マグネシウム-炭酸水素塩泉、49.5℃、成分総量2116mg  H16.12.23

¥100


別府鉄輪温泉 砂原温泉 - 「青湯」になる可能性を秘めている

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11-33

975

別府八湯温泉道

No.144

鉄輪

砂原温泉

 

「青湯」になる可能性を秘めている

 

平成29年12月16日訪問


次に訪れたのは鉄輪温泉のこちら、旅館街とはやまなみ道路を挟んだ反対側になる。

向かいの畑の中に気液分離装置(セパレーター)があり、活きよいよく噴気が立ち上っている。どこかでこの温泉井戸が、別府八湯で一番低い位置にある沸騰泉だと聞いた。数年前までは天満温泉や、海岸線の六勝園にも沸騰泉があったが、今では沸騰しなくなってしまったようだ。


ここは今井温泉からの引き湯で、泉温91.9℃の弱アルカリ性の塩化物泉だ。ということは、いちのいで会館のような「青湯」になる可能性を秘めている。メタケイ酸が196.8mgはちょっと少ないが、いずれにせよ鉄輪の食塩泉とは性格の異なる湯だ。



ナトリウム-塩化物泉、91.9℃、PH8.7、
成分総量2624mg、無色・澄明・無味・無臭、
自噴、掘削222m 22/8/6 
メタケイ酸196.8 硫酸イオン372.5

¥100


別府鉄輪温泉 入江温泉 - 浴室が半地下式なのはなぜ?

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11-32

974

別府八湯温泉道

No.206

亀川

入江温泉

 

浴室が半地下式なのはなぜ?

 

平成29年12月16日訪問


ここは正午から再開場となるが、こんな早くに開くのは珍しい。組合員さんとご一緒したので、温泉名の由来を尋ねると、目の前の橋が「入江橋」というので、それから来ているのだろうとの答えだった。恐らくこの橋を境に海側は入江になっていて、山側は川だったのではないだろうか。


もう一つの謎が、市営浜田泉源からの引き湯にもかかわらず、浴室が半地下式であることだ。敷地内に自噴の源泉がある場合に、地表より浴槽を掘り下げることで、湧出する勢いを強めるのがその狙いだ。昔は自家源泉だったのかと尋ねてみたが、解らないとの事だった。


薄緑色の塩化物泉で、かすかに塩味が感じられた。

ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉、54℃、PH7.2
成分総量1699mg、無色・澄明・微弱塩味・無臭、H21.3.20

¥100



別府温泉 ホテルニューツルタ ー 明治中期頃の北浜海岸の風景

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11-32

972

別府八湯温泉道

No.26

別府

ホテルニューツルタ

 

明治中期頃の北浜海岸の風景

 

平成29年12月9日訪問


この日の最後は北浜のこちら、6階の浴室からは敢え無く壊されてゆく「花菱ホテル」の姿が目の当たりに見える。




大分合同新聞に昭和39年から40年にかけて連載された是永勉の筆による「別府今昔」では北浜海岸の様子を、「イリコ小屋と網干し棒と七島イ…旅館街や商店街が群れて形を作る前の明治中期までの波止場付近は、港町を通って流川通りに出るコースと、その近くの路地以外はどこもがのどかな漁村風景で、浜辺て遊ぶ子供たちは「たばこ屋」の青表倉庫の前の広場がタコ揚げの遊び場になっていた。」と描写している。

「ホテルニューツルタ」の創業者は網元で、別府湾に漁船を出してイワシやイリコの原料となる小イワシをとっていたのだろう。そして港近くの湿地帯には、畳表の原料となる「七島藺」の田んぼが広がっていたのだ。

 

これで別府八湯温泉道11巡目の四段となり、永世名人まで残り56湯!

ナトリウム・カルシウム・マグネシウム-塩化物・炭酸水素塩泉,55.2℃,PH7.7,成分総量2500mg
無色・澄明・微弱塩味・殆ど無臭 H27.1.28

¥0

(七段無料)


別府鉄輪温泉 小倉薬師温泉丘の湯 - 山水に噴気を当てて作る噴気造成泉

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11-31

971

別府八湯温泉道

No.84

鉄輪

小倉薬師温泉丘の湯

 

山水に噴気を当てて作る噴気造成泉

 

平成29年12月9日訪問


なんとなくここの名前が気に入っている、お薬師様のご利益に与かるありがたさがあり、さわやかな風が吹き抜けてゆく様な爽快感があると感じるからだ。

前回の記事で、向かいの宿泊施設ベネフィット・フォー・ユーから湯を分けてもらっていると書いたが、脱衣所の掲示物をよく読んでみると、分けてもらっているのは噴気で、原爆症に効能のある山水に噴気を当てて作る噴気造成泉だ。


この日は浴室内に硫黄の香りが立ち込めていたが、相変わらず水もジャブジャブと注がれていた。


浴感から薄い硫黄分のアルカリ性単純泉なのだが、炭酸水素塩泉と書かれているブログを時折見かけるので不思議に思っていたら、表の案内板に「ナトリウム炭酸塩・硫酸塩・炭酸水素塩泉」と不思議な泉質名が大書されていた。

アルカリ性単純泉

¥100


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