海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

浜脇温泉

Posted by 海心堂 on   0 


/1128 
別府八湯温泉道 No.36

浜脇温泉

 

♨昭和3年には湯量と湯温の低下が顕著になっていた♨

 

令和元年11月23日訪問

 

 海岸の砂浜に湯が湧く事から「浜脇」と呼ばれるようになった浜脇温泉はかつて別府八湯の中心でした。おおいた遺産のHPでは、「「浜脇」には郷愁がある。江戸時代末から明治、大正を超えて、大分県で最もにぎわった温泉といわれる。古くから温泉が湧き出し、明治末の1902年に70軒、昭和40年代の1970年ごろにも40軒の旅館があったという。」と、紹介されています。

 そんな再開発前の温泉街の様子を紹介しているのが下の看板です。



 昭和3年に建て替えられた浜脇高等温泉と普通湯について、当時の新聞に以下の記述があります。「以前の東西温泉はその泉量の豊富さに於て将又合理的な浴そう配置に依って凡ゆる人達に好感と満足を与へてゐたものだが改築以来温度は著しく低下し医的効果も幾分削減されると云った具合で共同温泉は入浴者に対して満足を与へ得るかどうかは頗る疑はしいものである。」この頃には湯量と湯温の低下が顕著になっていたようです。

 

【分析書データ】単純泉、 65.0 PH8.0、成分総量819mg、無色・澄明・無味・無臭(雲泉寺タンク)

 

入浴料 ¥100

柴石温泉

Posted by 海心堂 on   0 


/1127 
別府八湯温泉道 No.80

柴石温泉

 

♨「鈴なりじじい」のその後♨

 

令和元年11月23日訪問

 

 到着すると第一駐車場は閉鎖されていて、源泉採掘中の看板が立っていました。番台のおばちゃんに尋ねたところ、冬季に湯量不足になる事がたまにあり、追加の掘削だそうです。すでに自噴源泉を掘り当てたようで、側溝にかなり熱めの湯が流れ出していました。ただ、追加掘削がなぜ許可されたのかという疑問は残ります。

 

 前回のここのブログで露天風呂を長時間占有する柴石名物「鈴なりじじい」などと揶揄しましたが、この日はそのご老人方の姿はありません。壁に「露天風呂での楽しい会話の続きを管理棟休憩室にご用意しております。」との張り紙、やんわりとしたたしなめ方が見事です。別府市民に向けては、「柴石温泉に癒しに来られるお客様に入浴マナーのお手本をお願いします。」とも。


 

 ここの湯は無色・澄明な単純泉ですが、湯口は赤く染まり鉄分の含有を示しています。そして湯色にかすかな青みがあるのが露天風呂では観察できました。


 

【分析書データ】(内湯)単純泉、51.7℃、PH6.7、成分総量881mg、無色・澄明・殆ど無味・殆ど無臭 H21.2.12

(蒸し湯)ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉、80.1℃、PH7.0、成分総量1353㎎、弱黄褐色、微弱混濁、無味、殆ど無臭 H22.2.16

 

入浴料 ¥210

錦谷温泉 せせらぎの郷 華じ花

Posted by 海心堂 on   0 


24-2/269
 その他の温泉 大分県中津市耶馬溪町深耶馬1196-15

錦谷温泉 せせらぎの郷 華じ花

 

♨レア泉質の炭酸モール泉が湧き出しています♨

 

令和元年11月9日訪問

 

 深耶馬渓から車を走らせること20分、川底が9万年前の阿蘇山火砕流の一枚岩の奈女川、その河畔のログハウス・ビレッジ華じ花があります。



 ここではレア泉質の炭酸モール泉が湧き出しています。20年前の分析書では泉温45℃ですが、今は43℃ほどでややぬるめです。そのため炭酸成分はより強くなっているようで、分析書の遊離二酸化炭素246.4mgをはるかに超える浴感があります。すぐ近くの七福温泉宇戸の庄も同様の泉質ですが、炭酸感はこちらが勝るようです。



 渓流を望める露天風呂もありますが、4月と11月は使用できません。(12月から4月下旬までは施設自体が休業しています。)



 長湯温泉の炭酸成分は太古の海底の貝殻やサンゴに由来するのですが、モール泉となるとその素は腐食植物ですから陸上なので、何から炭酸が発生しているのか謎ですが、ぬるめの炭酸泉は疲労回復にうってつけです。

 

【分析書データ】ナトリウムー炭酸水素塩泉、45℃、PH、成分総量1272mg、600m掘削、87.7L/分、極微弱黄色・澄明・殆ど無味・殆ど無臭 H10.7.22 メタケイ酸172.3 CO₂246.4

 

入浴料 ¥400

深耶馬渓温泉 若山温泉

Posted by 海心堂 on   0 


23-2/268
 その他の温泉 大分県中津市耶馬溪町大字深耶馬3263

深耶馬渓温泉 若山温泉

 

♨渓流に手が届きそうな混浴露天風呂が自慢♨

 

令和元年11月9日訪問

 

 玖珠から山移川の渓流沿いを車を走らせ深耶馬渓にやって来ました。ここには「一目八景」という景勝地があります。群猿山、鳶ノ巣山、嘯猿山、夫婦岩、雄鹿長尾の峰、烏帽子岩、仙人岩、海望嶺など、阿蘇溶結凝灰岩の柱状節理の岩峰とカエデやハゼなどの紅葉が織りなす景が目を楽しませてくれます。



 また、ここでは地場産のそば粉と自然薯を使った山かけ蕎麦が名物で、ちょうど新そばの時期に味わい深い蕎麦を賞味しました。

 一目八景から中津方面に1kmほど下った先に若山温泉があります。土産物屋の店先から裏に回ると、渓流沿いに露天風呂がありました。湯は50.0℃の単純泉で、PH8.1、かすかにツルツル感があります。湯が太陽の光に金色に輝き、川向こうの紅葉にいろどりを添えています。



 この露天風呂は混浴ですが、男女別の内湯もありますので、気にする方はそちらをご利用ください。


 

【分析書データ】単純泉、50.0℃、PH8.1、成分総量363mg、微弱褐色・澄明・無味・無臭 H21,12.22 メタケイ酸167.4

 

入浴料 ¥300

玖珠温泉 九日市温泉 万年の湯

Posted by 海心堂 on   0 


168/267
 その他の温泉 大分県玖珠郡玖珠町山田2564

玖珠温泉 九日市温泉 万年の湯

 

♨とにかく湯量豊富です♨

 

令和元年11月9日訪問

 

 久留米からの帰省途中に立ち寄りました。入浴料¥100の安すぎる料金に二の足を踏み続けてきたのですが、杞憂の杞憂で、大満足の一湯となりました。



 男湯には2つの浴槽があり、いずれも阿蘇溶結凝灰岩の巨石を積み上げた岩風呂で、それぞれに53.9℃の源泉が惜しげもなく注がれています。大浴槽はややぬるめで、小浴槽はやや熱めです。



 オーナーさんにお話を聞く事ができましたが、温泉掘削は平成4年の事で、オーナーのお父さんが自宅用に地下420mで掘り当てました。話を聞きつけたご近所さんから入らせてくれとの要望が度重なり、平成7年に温泉施設としてオープンしました。



 失礼を承知の上で、「¥100では赤字になりませんか?」とお尋ねすると、水道光熱費や消耗品費などは賄えるものの、人件費まではとても無理との事で、地域への恩返しのつもりで続けていると話してくれました。

 これからも大切にして行きたい「おんせん県おおいた」の宝です。

 

【分析書データ】単純泉、53.9℃ H21,11.26(分析書別表の掲示なし)

 

入浴料 ¥100

第10回日本ジオパーク全国大会2019大分大会のパネルディスカッションを聴講しました

Posted by 海心堂 on   0 

 

10回日本ジオパーク全国大会2019大分大会の

パネルディスカッションを聴講しました                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

 第10回日本ジオパーク全国大会2019大分大会が2019年10月31日(木)~11月5日(日)の日程で、豊後大野市・姫島村・大分市を舞台に開催されました。



 「ジオパーク」とは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいいます。」と日本ジオパークネットワークのHPには記載されています。

 さらに日本ジオパーク委員会のHPでは、「●地域の地史や地質現象がよくわかる地質遺産を多数含むだけでなく、考古学的・生態学的もしくは文化的な価値のあるサイトも含む、明瞭に境界を定められた地域である。●公的機関・地域社会ならびに民間団体によるしっかりした運営組織と運営・財政計画を持つ。●ジオツーリズムなどを通じて、地域の持続可能な社会・経済発展を育成する。●博物館、自然観察路、ガイド付きツアーなどにより、地球科学や環境問題に関する教育・普及活動を行う。●それぞれの地域の伝統と法に基づき地質遺産を確実に保護する。●世界的ネットワークの一員として、相互に情報交換を行い、会議に参加し、ネットワークを積極的に活性化させる。」と定義しています。


 つまり、地質遺産を保護することだけでなく。運営組織と財政基盤を明確にし、地域の持続可能な社会・経済発展を育み、教育・普及活動を行い、相互のネットワークを活性化させる事を目的としています。



 一方、生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)という活動もあり、文科省のHPでは、「ユネスコエコパーク-(生物圏保存地域)は、生物多様性の保護を目的に、ユネスコ人間と生物圏(MAB)計画(1971年に開始した、自然及び天然資源の持続可能な利用と保護に関する科学的研究を行う政府間共同事業)の一環として1976年に開始されました。(中略)世界自然遺産が、顕著な普遍的価値を有する自然を厳格に保護することを主目的とするのに対し、ユネスコエコパークは自然保護と地域の人々の生活(人間の干渉を含む生態系の保全と経済社会活動)とが両立した持続的な発展を目指しています。(後略)」と定義されています。


 

 ここでは、生物多様性の保護を目的に、自然保護と地域の人々の生活を両立した持続的な発展を目指していますが、その違いは難解です。


 大分県には豊後大野市と姫島村の2カ所が登録されていますが、そのテーマは豊後大野市が「巨大火砕流から9万年 生命を紡ぐ豊後の水と生命の彩り 豊後大野の大地は、今からおよそ9万年前に起きた阿蘇火山の巨大噴火による火砕流に埋め尽くされました。その後、やがてそこに水が流れ、命が生まれ、豊かな大地がよみがえりました。水と大地は命あるすべての源であり、そこで営まれる「生活=いのちき」とともに支え合い、繋がっています。そのことを「彩り」という言葉で表現しました。」としています。



 一方姫島村は、「火山が生み出した神秘の島 姫島のジオテーマは、「火山が生み出した神秘の島」 サブテーマ:~姫島ジオの七不思議を巡る旅~です。 日本列島は、環太平洋火山帯に位置し、火山列島とも称されます。
 大分県は、その火山列島の中でも火山の影響と、付加体構造の両面性を持つ、日本列島の縮図といえます。  温泉で有名な大分県は、現在も火山活動や、地熱の恩恵を一身に受ける「大地の恵み」を受けていますが、火山活動によって生まれた姫島は、まさに大分県を象徴する島といえます。 火山活動等の地球活動が、大地を形成し、産出される大地のカケラが人類を生み、大地の鼓動が人々の暮らしを支えたことで歴史が紡がれてきました。 姫島の黒曜石は、まさに脈打つ大地の鼓動が生みだし、人々は、黒曜石を加工しながら時間を重ね、西日本各地に展開するさまざまな遺跡で発掘される姫島の黒曜石は、人々の生活、文化を育んできました。 火山活動が生み出した島で繰り広げられてきた人と自然のドラマが、現在の姫島と、今を生きる人々につながってきたのです。 火山活動が生み出した島では、産業構造変化として黒曜石に始まる石器の素材採取から中近世では製塩、畜産につながり、現在は沿岸漁業、養殖産業に展開します。 つまり、姫島の風景は、旧石器・縄文時代から始まる人々のくらしによって変化してきたのです。現在では、瀬戸内海国立公園に編入され、瀬戸内海の一番西側に位置することとなった姫島では、火山活動から約20万年後の「人」と「自然」と「時間」を体感できる大パノラマが広がっています。 火山活動の痕跡をはじめとする自然と、それらによって育まれてきた、地域の歴史と文化は、過去、現在から未来に生きる地域の人々に、様々な大地の恵みを与えてくれているのです」としています。



 さて聴講したパネルディスカッションですが、コーディネーターは京都大学名誉教授の竹村恵二先生で、パネラーとしてNHKの人気番組「ブラタモリ」の相部任宏チーフプロデューサー、立命館アジア太平洋大のバファダリ・カゼム准教授、NPO法人桜島ミュージアムの福島大輔理事長、NPO法人おくぶんごツーリズム研究所(豊後大野市)の渡部順子理事長の4人です。

 パネラーの発言を要約するのは無理ですが、ガイドツァーで不機嫌な様子なのはたいてい「おじさん」で、おじさんはそうゆうものだと割り切ることが大切ですとの指摘は、そのとおりと喝采できました。

地獄ハイキング 「観海寺~スパビーチ・コース」参加レポート(後編)

Posted by 海心堂 on   0 

 

地獄ハイキング 「観海寺~スパビーチ・コース」参加レポート(後編)

温泉マイスター シニアマイスター 甲斐 心也


 

 住宅地の中を大通りまで下ると、山の手交番の瀟洒な建物が見えてきました。ハーフチェンバー様式の山小屋のような素敵な建物です。





 ここから板地川の河川敷に降りて、河原の遊歩道を歩きます。川の傾斜によって滝になっていたり、階段状に水が下っていたりと変化に富んでいて、なかなか面白い遊歩道です。






 翔青高校の正門前に着きました。ここから境川のほとりに向かう途中に古い道標がたっていました。南に向いた面に「別府町」、北の面には「石垣村」と刻まれていました。別府町と石垣村は境川を境にしていたのです。というか、2町村の坂井を流れているから境川と名付けられたのですね。石垣村が別府市に編入されたのが昭和10(1935)年ですから、それまでの別府市の北端は境川で、明礬温泉も、鉄輪温泉も、柴石温泉も、亀川温泉も別府市ではなかったという事です。






 芝居の湯前に着きました。ここの正式名称は「別府市コミュニケーションセンター」といい、江戸時代の芝居小屋を模した桟敷席のある芝居小屋が再現されています。それで通称「芝居の湯」という訳です。別府市営給湯事業の石垣線系統で、堀田源泉の湯を尾の上泉源で再加熱して供給されていて、はっきりした硫黄香があるのが自慢です。硫黄成分の湯の花が布袋で漉し取られているのがもったいないですね。






 ここでもう一度河川敷に降りて、境川との合流点に向かいます。ホテル別府パストラルのすぐ下のあたりが合流点で、川幅が一挙に広くなりました。



 境川は別府扇状地の中央部を西から東に流れる川で、その起源は鶴見岳の火砕流と、その岩石を扇状地の下方に運んだ土石流にあります。したがって、この川は雨の時にだけ水の流れる「水無川」だったのです。

 境川の堤防は、別府駅側は時代が古く、土手がなく家屋が堤防ギリギリまで迫っています。それに対して亀川側は時代が新しく、広い土手と道路を隔てて家屋が建てられています。これは別府側は古くから住宅街になっていたのに対し、亀川側は最近まで田んぼや畑が広がっていて住宅が少なかった事を示しています。最近になって堤防が作られるとともに親水公園としての活用が図られたもののようです。




 大分県のHPに次の記事がありました。「当時、石ころや雑草の多かった別府市境川の河原の一部が美しい砂防公園になった。これは、県が建設省の補助を得て、九州では初めての砂防環境整備事業として昭和
50年度から工事を進めていたものである。河川を安全にすると同時に、緑と水辺の空間を確保し、沿線住民の憩いと安らぎの場を創造するユニークな事業で、昭和51年に天満橋上流約100メートルの区間が完成した。」




 亀川側の堤防上に「ミズハネサマ」と呼ばれる小さな祠が数カ所に祀られています。これは境川の堤防が決壊する恐れが生じたときに、ミズハネサマのある場所の堤防を切り、亀川側に水を流すための目印だそうです。ここのミズハネサマは臼杵石仏の大日如来の頭部でした。






 天満神社付近まで下ってきました。川幅は一層広くなり、立派な階段状の水路がありました。後で調べて分かったのですが、川幅が広くなっているのではなく砂防堰堤というもので、国交省のHPでは、「土石流など上流から流れ出る有害な土砂を受け止め、貯まった土砂を少しずつ流すことにより下流に流れる土砂の量を調節する施設です。土砂が砂防堰堤にたまることで川の勾配が緩やかになり、川底や河岸が削られていくのを防ぐとともに、土石流の破壊力を弱めます。また、両岸の山すそを固定し、山の斜面の崩れを防ぐ働きもあります。」と説明されていました。






 国道10号線にかかる橋の上から境川の河口が望めます。若草港は使われなくなったのか、漁船が一艘も停泊していません。別府港を岸壁を進み、市営温泉の北浜温泉テルマスの横を通って、ゴールのスパビーチに到着しました。






 ここは毎年四月に行われる「鶴見岳一気登山大会」のスタート地点です。大分合同新聞4/15朝刊、「第32回べっぷ鶴見岳一気登山大会が14日、別府市であった。参加者は海抜0メートルのスパビーチをスタートし、境川沿いの桜などを満喫しながら、標高1375メートルの鶴見岳を目指した。県内外から3280人がエントリーした。開会式では、市観光協会の梅野雅子会長、川上隆副市長が「気持ちの良い空気の中で、自然や湯煙を楽しみながら登ってほしい」とあいさつ。遠来者の兼元さやこさん(49)=那覇市=を表彰した。兼元さんは「知人の誘いで初めて参加した。頑張ります」と話した。コースは3部門。山頂までの約12キロで健脚を競う「いだてん天狗(てんぐ)タイムレースコース」、それぞれのペースで歩く「のびのびさくらウォーク」、麓までの8キロを歩く「GO・GO・GOハーフウォーク」があり、参加者が爽やかな汗を流した。」






 これでで今回の全行程を完了しました。参加者の皆さん本当にお疲れ様でした。




 次回は11月30日(土)に温泉マイスター限定で、新コース「鶴見岳下山コース」を予定しています。往路はロープウェイで楽々登山、復路の下山をハイキングします。今も噴煙を上げ続けている赤池噴気孔や、山頂からの雄大な眺めにご期待ください。



地獄ハイキング 「観海寺~スパビーチ・コース」参加レポート(前編)

Posted by 海心堂 on   0 

 

地獄ハイキング 「観海寺~スパビーチ・コース」参加レポート(前編)

温泉マイスター シニアマイスター 甲斐 心也



 NPO法人別府温泉地球博物館主催の地獄ハイキング2019年度の秋第2回は、令和元年10月27日(土)、一般参加で「観海寺~スパビーチ・コース」での開催でした。今回は新コースでの開催ですが、2017年12月2日に実施した「堀田~観海寺~鶴見地獄コース」の続きのコースで、2つのコースを踏破すると、板地川の源流から境川に合流して別府湾に注ぐまでを歩き切ることになります。この日は別府公園で「大分県農林水産祭」が行われており、市街地はかなりの渋滞ありましたが、秋の青空の下で爽快なハイキングになりました。


 13:30にスタート地点の「霊泉寺バス停」に集合した参加者は、ガイドを勤めてくださる京大名誉教授の竹村恵二先生をはじめ総勢11人です。



 スタート地点の霊泉寺境内に鶴見地獄があります。前回のハイキングレポートから引用します。「霊泉寺境内に直径15mほどの池があり、やや奥よりから源泉が勢いよく湧き出しています。池の湯を指で触れてみると、沸騰状態ではなく60~70℃位の感じで、薄い塩化物泉のようです。湯の色はややくすんだ水色で、大きさといい色といい、やや地味な感がありました。」



 「油屋熊八が少女ガイドを乗せた地獄めぐり遊覧バスの運行を開始したのが昭和3年で、それ以前から人口に膾炙していたのは血の池地獄と坊主地獄、明治43年に観覧料と取るようになった海地獄と大正12年開園の龍巻地獄くらいだったようです。その後、昭和3年に八幡地獄、昭和6年に白池地獄の開園が続き、鬼山地獄、かまど地獄(昭和30年代前半までは、今の場所ではなく血の池地獄の北山手にありました)などが続々と開園し、今の地獄めぐりの姿になりました。」 



 鶴見地獄から少し奥の朝見川断層の崖下に旧八幡地獄があります。ここでも前回のレポートを引用します。「敷地の奥に轟々と噴気をあげる源泉口があります。これが「八幡地獄」の泉源で、噴気と共に湯が湧き出していて、湯川となって流れ出しています。指では触れられない熱さで、まさに沸騰泉です。「ブラタモリ」での近江アナウンサーの測定では99℃でした。戦前は噴泉池の他に「怪物館」なるものがあり、鬼・人魚・河童などの骨や剥製が展示されていたそうです。」

 

 前回と違っていたのはバイナリー発電所が出来ていた事です。泉温99℃では通常の地熱発電は無理だからです。九州電力のHPのバイナリー発電の説明、「バイナリー発電とは、加熱源により沸点の低い媒体を加熱・蒸発させてその蒸気でタービンを回す方式です。加熱源系統と媒体系統の二つの熱サイクルを利用して発電することから、バイナリーサイクル(Binary※ -Cycle)発電と呼ばれており、地熱発電などで利用されています。  地熱バイナリー発電では、低沸点媒体を利用することにより、媒体の加熱源に従来方式では利用できない低温の蒸気・熱水を利用することができます。  発電システムとしては、加熱源としての蒸気・熱水サイクルと代替フロンを用いた媒体サイクルで構成されており、これに対して、従来方式は蒸気・熱水サイクルのみで構成されています。」




 南立石小学校の前に来ました。石垣は阿蘇カルデラ噴火の火災流が冷え固まってできた阿蘇溶結凝灰岩です。阿蘇山は約30万年前に最初の噴火が起こり、多量のマグマを放出した後が陥没してカルデラを形成しました。その後も3度の大噴火を起こしますが、最後の大噴火は約9年万前で、火砕流は大分県下にまで達し、場所によっては100mもの厚さで堆積しています。この岩石は比較的柔らかく加工しやすいので、県下のあちこちに磨崖仏が作られたり、石橋が掛けられたりしました。石橋が懸けられた峡谷は、溶結凝灰岩を河川が9万年かけて削ってできたものなのです。国宝の臼杵石仏も、竹田市の岡城址の石垣も、三重町と野津町をつなぐ虹澗橋も、みんな阿蘇溶結凝灰岩で出来ています。



 南立石公園の正門前に着きました。都市型の総合公園で広さは10.85ヘクタールあります。桜、梅、楠、金木犀が多く植えられています。園内のあちこちに別府石の巨石がありますが、公園整備の過程で重機でも移動させることができず、そのままの場所に放置されているようです。別府石は約1万年前の鶴見岳の噴火の際に、火砕流として流れ出した角閃石安山岩です。



 昭和初期までの別府は別荘地の開発も盛んに行われていました。別府市が作成した「文化的景観 別府の湯けむり景観保存計画」の第八章に次の記述があります。「別荘開発の先駆者は、前述の海地獄を買収した千寿吉彦である。千寿は前述の通り海地獄を源泉として「温泉付き別荘地」の開発を鉄輪温泉に隣接する一帯を新別府と称して進めた。別荘分譲地は標準区画を300坪として売り出した。  その後、愛媛県出身の多田次平が大正11年(1922)六角温泉・荘園地区の開発に着手した。しかし、この開発は資金繰りが行き詰まり途中で頓挫するという憂き目に合った。その後を継いだのは、久留米絣で財を成した国武金太郎であった。この六角温泉・荘園地区の開発は大阪の財界が後ろ盾となったとも言われている。」



 敷地の真ん中にロータリーを配置し、6方に放射状に道を造り、それに沿って別荘地が造成されている光景は、一見の価値がありますよ。

(後編に続く)

該当の記事は見つかりませんでした。