モニターツァー「国東六郷満山 貸切タクシーで僧侶がご案内 ミニ峯入り体験 参加レポート(後編)

 午後は千燈寺に参拝し、最も古い修正鬼会の面や、石造の太郎天像などを拝見し、いよいよ旧千燈寺に向けて出発です。タクシーで第一駐車場まで行き、ここからは旧坂を上ります。最初に西之坊跡に着くと、旧千燈寺全体の案内看板があります。看板の由緒縁起によれば、本寺は、養老二年仁聞菩薩の創建と伝えられ、六郷満山本山本寺である。


 
かつて末寺、末坊三十八ヶ所を有していたと伝えられる。仁聞菩薩が同行五人と不動石屋において不動の法を行した時、東北海の龍王がその徳に感じ、献燈すること一千に及んだ。よって千燈寺と称するに至ったという。




 
当寺は、仁聞入寂の地として、また六郷山無常導師所として六郷満山中で重要視された寺である「太宰管内志」に「仁聞入寂の地・本堂千手・六所権現・山王権現・薬師石屋・大講堂・地主権現・大師堂・尻付石屋・普賢石屋・大不動石屋・奥の院不動石屋・退転牛王石屋・小不動石屋八大龍王石屋・千燈寺末寺 平等寺 全光寺 真覚寺」とありました。




 さらに上ると旧千燈寺護摩堂跡に到着、建物はなく石造の仁王像が一対、石板から半肉彫りの像で、お顔や天衣の衣に品があり、なかなかの出来でした。














 講堂跡を過ぎ、五輪塔群、仁聞の墓、国東塔、弘法堂跡などを眺めながら、旧坂を上りきると芝生広場がありました。ここから県道を不動茶屋まで進み、いよいよ
不動山(352m)の登山となります。ここまででバテバテになったので、ここで待っていようかとも思ったのですが、せっかくの機会なので挑戦することにしました。



 登山道は木の丸太を土留めにした急な階段で、15分ほど登ってゆくと、五辻岩屋に上る鎖場についた。不動堂からバスハイクの面々が下りてきたので、しばらくここで待つことにしました。バスの先達は3年前に六郷満山1300年祭のバスツァーでお世話になった椿光寺の副住職の山口さんでした。足元は岩を浅くくりぬいた階段で、足を踏み外すと転落してケガをしそうで怖い。鎖場を抜けると目の前に不動堂が現れました。手入れが行き届き存外に立派なお堂です。先達が不動明王に般若心経を読経し、一同祈りをささげました。堂外には千燈岳や鷲巣岳の山容が眺められ、北を眺めれば伊美港、姫島、周防灘があり、空気が澄んでいれば西に山口、東に四国の佐田岬も見られるだろう。









 
「国東 古寺巡礼」渡辺克己著によれば、「千年の祈りが凝ったこの山上の古びた岩屋は、きらびやかに荘厳され位階の高い僧の読経の声がひびくいかなる仏閣にも劣らない、心を呪縛するものがあるのであろうか。狭い堂内には、お籠もりする人のための、うす汚れた布団や煮炊きするための鍋などが片隅にある。敷き物はすすけ、内陣はほこりっぽい。どこか人間臭い堂内だ。それは俗界の苦悩をここに持ちこんで寝泊りし、不動尊に祈りつづける人間が時おりあるからだ。どんな煩悩、どんな心の痛みを持っておこもりするのだろうか。


 
お籠りだけではない。今も一年に一度、旧暦の一月二十八日には不動修法が盛大にとり行われる。(昔は毎月二十八日に行われていた記録がある) 千燈寺最大の祭りである。この日は、善男善女が参詣し、狭い堂内に入りきれず、堂外にも坐りこんで導師が穫摩を焚き読経する声に唱和して不動を念じるのである。


 
また不動修法に引続いて星祭りも行われる。人にはそれぞれ運命を司る年星(本命星)があり、それが犯されると災いがあるとされる。それを除き福を得るために星をまつる修法である。


 
朝十時ごろから午後四時ごろまで祈祷は行われ、善男善女の祈りが熱気となって不動窟をおしつつむ一日である。」



 鎖場の下りはさらに怖く、一歩一歩足元を確認しながらの下りとなります。ようやく丸太階段までたどり着き、そこから不動茶屋までは一気の下りです。一度はあきらめかけた五辻不動参拝、登ってよかったとつくづく思いました。



 先達によれば、六郷満山の信仰は半島のあちこちにある岩窟で、経を唱え修行することに始まりました。その生活の場として寺が建てられ、寺には近隣の住民がお参りに来るようになりました。時を経て組織が整備され、学問の
本山(もとやま)、修行の中山なかやま、布教の末山すえやまの3群となったのです。




 不動茶屋からタクシーで富貴寺を目指します。富貴寺大堂は九州最古の木造建築物として国宝に指定されています。「
平安時代後期に建てられたとされる国宝・大堂を擁する富貴寺は、当時この地を治めていた宇佐八幡宮の大宮司一族代々の祈願所として創建され、その後は六郷山寺院の一つとして現在まで法灯を伝えている。大堂の建築、仏像彫刻、堂内を飾る壁画の数々は浄土教芸術の粋として高く評価されている。 大堂の他にも、本堂、鎮守としての白山社、中世石造物など富貴寺の長い歴史を映す数多くの文化財が所在しており、境内一帯は国の史跡に指定されている。日本遺産HPより)



 副住職の夕べのお勤めに参籠、須弥壇には阿弥陀三尊像が祭られていました。普段は本尊の阿弥陀如来像だけですが、本堂が解体修理中のため観音・勢至の脇侍が大堂内に移され、100年ぶりに3体がそろったとの事です。



 国宝としての見どころの一つが堂内の壁画ですが、先の戦争の末期に米軍の戦闘機が裏山に爆弾を投下、
大堂の屋根が大破したため、雨露で劣化してしまったのが残念です。「堂内に入る。四天柱(4本の丸柱)を立てた内陣の須弥壇に本尊・阿弥陀如来の座像。国重要文化財。正面の扉を開け、外陣にぬかずくと、柔らかい光が差し込んで如来を包む。



 背後には極楽浄土の壁画。かなり色あせ、はく落してはいるが、はっきりと見て取れる浄土曼陀羅である。柱にも仏・菩薩や宝相華、唐草文。外陣の長押にもまた、仏や菩薩、明王、天部、天人などの 姿が読み取れる。



 宇佐の県立歴史博物館にレプリカがあり、かつては極彩色だったことが分かる。 このあふれる色の中で、参詣者は西方浄土を思い描き、ひたすらに祈りをささげたことだろう。(おおいた遺産HPより)




 今回のツァーはこれでコンプリート、タクシーで別府駅まで戻り、JRで大分に帰りました。今回の企画の目的は、
観光庁の「既存観光拠点再生・高付加価値化推進事業の一環ということですから、六郷満山峯入り行を観光資源として生かしたいとの狙いと、一組ごとにタクシーで回るという、コロナ禍での観光の在り方の可能性を探ることにあったのだと思います。運転手がツァーのスケジュールをきちんと把握できていない点などに問題がありましたが、それなりに楽しめるものでした、主催者に感謝いたします。



2022.01.15 Sat l 大分県のイベント l コメント (0) l top

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