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Author:海心堂
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「2017おおいた遺産」モニターツアー 別府市・日出町編

 

 

2017おおいた遺産」モニターツアー

別府市・日出町編

 

 一般社団法人大分学研究会では、今年度「おおいた遺産」を巡るモニターツアーを5回シリーズで開催しています。その第一回は別府市・日出町編で、平成29年6月25日(日)に開催されました。

 「おおいた遺産」とは、大分合同新聞社が創刊120年を記念して、2007年から3年間にわたり、一般読者の489件の応募の中から、辻野功別府大学教授(当時)を座長とする選考委員によって選定された、未来に残したい大分県の景観、祭、建築など120件の遺産を言います。

 

 大分駅前を8:30に出発した貸し切りバスは、昨夜からの激しい雨の影響で、低く垂れこめた雨雲に覆われた別府市を目指します。


 別府駅前でここからの参加者と合流し、最初の訪問先の青山町にある「聴潮閣」へ向かいました。「聴潮閣」は銀行家で別府市商工会議所の初代会頭を務めた高橋欽哉により、1929(昭和4)年に自邸および迎賓館として建てられたものです。当初は浜脇の海岸沿いに建てられましたが、1989(平成元)年に現在地に移築され、2001(平成13)年には国の有形登録文化財に指定されています。2015(平成27)年末までは、洋画家の佐藤渓の作品を展示する美術館として一般公開していましたが、現在は閉館しており、この日は特別に見学させていただきました。


 木造2階建入母屋造りの主屋は、伝統的な和風建築ですが、一階にはアールデコ様式の応接間もあります。それほど広くはない中庭はモミジを中心とした木々が植栽され、落ち着いた雰囲気に包まれていました。二階の座敷は両側に広縁を持ち、窓の建具が戸袋にすべて収納できる開放的な造りです。


 

 次に向かったのは「内成の棚田」で、 平成11年度に農林水産省が認定した『日本の棚田百選』 に選ばれています。ここの棚田の歴史は古く、鎌倉時代の古文書に記載があるそうで、1000年以上も前から耕作されていたようです。9集落40軒の農家が、42haの田んぼを耕作しており、先人の知恵と労苦に敬意を表するとともに、これから先もこの美しい景色が残されてゆくための様々な支援が必要なのだろうと思いを致しました。


 

  薄暗い木立の中の道をぬけ、広々としたゴルフ場を過ぎて、次の目的地の「神楽女湖」に着きました。ここには80種、15,000本のハナショウブが植えられ、梅雨のこの時期に見頃を迎えていました。「湖」と名付けられているが、おじか山の麓に形成された中間湿原で、標高600m、周囲約1kmの湿地帯には、ヒツジグサ・オギなどの群落がみられ、カイツブリ・カワセミ・キセキレイなど野鳥も数多く生息しています。遊歩道をのんびり歩いていると、カイツブリの子育ての様子が観察できました。


 

 この後は鉄輪で地獄蒸しの昼食を取った後、大観山の湯けむり展望台で、「鉄輪温泉の湯煙」と別府扇状地を形成している鉄輪断層崖と堀田・朝見川断層帯を見学し、「明礬温泉の湯の花小屋」を目指します。


     

 「別府明礬温泉の湯の花製造技術」は2006(平成13)年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。文化庁のHPによれば「この技術は、湯の花小屋という製造施設をつくり、その内部で噴気と青粘土を利用して湯の花の結晶を作り出す技術であり、製品である湯の花は薬として利用されたり、入浴剤として利用されてきた。(中略)湯の花が結晶化する過程をみると、まず噴気が藁と土の層を上昇する途中で冷えて水になる。それと同時に噴気に含まれていた硫化水素や亜硫酸ガスが酸化して硫酸となり、この水に溶けこむ。それが上昇して青粘土の層に入ると、青粘土に含まれているアルミニウムや鉄と化合して硫酸塩となり結晶として表面に現れる。これが明礬温泉で湯の花と呼ばれているものである。」とあります。つまり、明礬の湯の花は水に溶けやすく、入浴剤として優れた性質を持っています。草津温泉などで売られている湯の花は、水溶性でないためあまり湯に溶けず、この点がここのものとは全く違います。


 

 別府市での視察はここまでで、これから日出町に向かいます。十文字原を過ぎて鹿鳴越山の山道に入ると、雨脚が急に強くなり、予定していた「ザビエルの歩いた道」の見学を断念し、「日出殉教公園と日出藩成敗場跡地」を目指します。


 1619(元和10)年、日出木下藩の家老:加賀山半左衛門は藩主よりキリスト教の棄教を命ぜられますがこれに従わず、5歳の息子のディエゴとともにこの地で処刑されました。平成19年に半左衛門親子がカトリックの福者に列せられ、その記念にここに殉教公園が作られました。江戸時代初期のカトリック信仰の記録はそのほとんどが焼き捨てられて、外国人宣教師の記録がヨーロッパに僅かに残されているだけですが、1599年の豊後のキリシタンの数は約12,000人と報告されているようです。

 

 次に向かったのは日出暘谷城三の丸跡に立つ国の重要文化財の「的山荘」です。ここは山香町の馬上金山の採掘で財を成した成清博愛が1915(大正4)年に建てた別邸で、文化庁HPによれば「主屋は大勢の来客を接待するための大型の広間を持ち,生活のための書斎部と家政部それぞれを海に向けて配し,景観を活かした配置とする。全体を堅実な和風の意匠でまとめているが,外観には入母屋造を多用して巧妙な階調をつくり,内部は良材による精緻な造作で格調の高い空間を達成するなど,意匠的に優れている。土蔵や正門などの附属施設や大規模な庭園も,近代における雄大な別邸の有り様を示すものとして高い価値を有している」としています。




 

 本日最後は日出城址です。日出藩3万石の初代城主の木下延俊は、豊臣秀吉の正室おねの兄で、細川忠興(ガラシャの夫)の妹加賀を正室としました。関ヶ原の合戦では義兄忠興の助言に従い徳川方に就き、1601(慶長6)年に日出に入国すると直ちに築城に取り掛かり、3層の天守閣と5つの二層櫓や平櫓が築かれました。廃藩置県に伴いすべての建物が取り壊されましたが、鬼門櫓だけが取り壊しを免れ、領内仁王の中村家屋敷内に移築されており、平成25年に場内の現在地に復元されました。風水の鬼門である東北の隅を欠いた全国的にも稀な建築物です。


 

 このツアーでは別府市教育委員会の永野さんと、日出町観光協会の方が同行していただき、専門的な説明があり、よい勉強になりました。次回の開催は8月27日で宇佐市・豊後高田市を巡ります。

                



テーマ:温泉♪
ジャンル:旅行

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