海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

日本温泉科学会第71回大会 公開講演を拝聴しました

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日本温泉科学会第71回大会 公開講演を拝聴しました                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

 2018年9月5日、日本温泉科学会第71回大会が別府市公会堂で始まりました。

別府での開催は2003年以来、15年ぶりとなります。

大会期間中の9/6~9/7は、全国から参集した学会員の一般講演や、特別講演が行われ、最終日には県内の温泉関連のフィールドを巡るエスクカーション(共同で行う野外調査)があります。



 私は学会員ではありませんので、本日の公開講演と、最終日にエスクカーションのスタッフとして参加する予定です。




 大会運営委員長の由佐悠紀京都大学名誉教授の開会挨拶に続き、京都大学名誉教授で別府温泉地球博物館理事の竹村恵二先生が登壇され、「別府温泉地球博物館・フィールド博物館と大分のジオパーク」と題して講演されました。




 演題の「フィールド博物館」の活動の中心が、年に8回行われる”地獄ハイキング”で、私も温泉マイスターとして幾度も参加しており、身近な活動に関する発表でした。

 まず、別府温泉を地球科学的な見方で楽しみ、温泉資源に対する考えを深める場として生かすために、”地獄ハイキング”があると紹介されました

 別府温泉地球博物館の3つの活動の柱のうち、フィールド博物館は「実際に現地で温泉・地熱現象を体験し、その生成メカニズムまでを考えるきっかけを醸成し、また自然保護への視点を広げるための重要な役割を果たしている。」として、地獄ハイキングは既に14コースがあります。 
   

 そして、「フィールド博物館の地獄ハイキングは現在3つのカテゴリーで実施されている。

(1)従来からの一般向けの募集によるもの、(2)別府温泉地球博物館の第3の柱である”人材育成”に関わって整備されてきた温泉マイスター試験に合格した温泉マイスターの方々を対象として実施するもの、(3)さらに、温泉マイスターのうちシニアマイスターを目指したり、現地ガイドに興味がある方々が案内するものである。

マイスターによるガイドでは、ガイドする方が自ら作成したコースを追加する事も含まれ、単なるガイドブック内容の紹介や説明でない、自らの温泉科学学習の成果を含めることも可能になっている。このように、別府温泉の地球科学・温泉科学を学ぶだけでなく、内容を深め、市民・観光客に広げる活動も少しずつ始まっている。」と
紹介されました。

 なお、大分のジオパークに関しては、ジオパーク活動を推進する大分県職員の汚職事件が発覚し捜査中であることからか、ごく簡単に触れられただけでした。


 竹村先生の「別府愛」がヒシヒシと感じられる、素晴らしい講演でした。 


 第2講は温泉評論家で日本温泉地域学会会長の石川理夫先生による、「温泉の日本史と別府」と題する講演でした。石川先生は今年6月に中公新書より「温泉の日本史-記紀の古湯、武将の隠し湯、温泉番付-」を出版されました。


 温泉研究において「温泉の歴史・文化史などの人文科学分野からのアプローチは、自然科学分野に比べるとこれまではるかに限られていた。しかし、地域住民・国民だけでなく、海外からの観光客も日本の温泉地と温泉資源の特色ある魅力に惹かれている今日、温泉地の活性化のためにも温泉地が持つ歴史的文化的蓄積を再評価していくべきだろう」との問題提起から、別府温泉の歴史を取り上げ、
紹介されました


 別府を示す古代の地名は「敵見(あだみ)郷」で、神奈川県の熱海温泉は「直見(あたみ)郷」ですが、どちらも海辺まで高温泉湧出・地熱地帯だったことから「あたみ」と呼ばれていました。


 次に、天平時代の西暦730年代に編纂された
豊後国風土記には、温泉の色や析出物・泉質などの詳しい情報があり、今の血の池地獄に当たる「赤湯の泉」や鉄輪の「久倍理湯井(くべりゆのい)」が紹介されています。
ただし、この時代は入浴用に利用できない湧出状況であったことが描写されている事が印象的です。


 
伊予国風土記逸文に「伊予の国の風土記に曰く、湯の郡。大穴持命、見て悔い恥ぢて、宿奈毘古那命を活かさまく欲して、大分の速水の湯を、下樋より持ち度り来て、宿奈毘古奈命を漬し浴ししかば、蹔が間に活起りましまして、居然しく詠して、真蹔、寝ねつるかもと曰りたまひて、践み健びましし跡処、今も湯の中の石の上にあり。凡て、湯の貴く奇しきことは、神世の時のみにはあらず、今の世に疹痾に染める万生、病を除やし、身を存つ要薬と為せり。」とあります。

しかし、先生は「見て悔い恥ぢて」を「悔い恥しめられ」と解釈、大穴持命と宿奈毘古那命との主客が逆転して解釈されており、温泉の神は宿奈毘古那命であると
断言されました


 それにしても、道後温泉の公式ホームページでは、「
日本書紀にも登場するわが国最古といわれる温泉です。」と言ってはばからず、速見の湯を下樋で道後に引いたとの逸文の記述は、目を背けたくなるものであり、公式ホームページには道後の湯で病気が癒えた事だけが記述されています。


 鎌倉時代になると、一遍上人と鉄輪温泉が記録として残っていますが、これは道後温泉近くの出身の一遍が蒸し湯の効能を熟知しており、鉄輪の地熱地帯に石風呂を作り、蒸し風呂として活用することで、初めて温泉としての利用の道が開かれたということです。

つまり、8世紀初めの豊後国風土記の時代から、一遍による開湯までは鉄輪は温泉としては利用されなかったことを示しています。


 また温泉の利用法については、「現在は湯浴や飲泉法に加えて、打たせ湯、箱蒸し足湯、砂湯、泥湯、蒸し湯が備わって」「日本で最も多彩な温泉利用法を保」ち、「誕生の背景となった歴史、仏教・温泉文化とともにアピールして、海外客を持対象にしたヘルスツーリズムに生かすべき」と提言されました。


 最後に別府の共同浴場文化に触れ、実数として80前後と想定されるとし、市町村別では日本一であり、「別府が大切に残している共同浴場、地域による温泉の共同利用と管理は、今日でいえば
コモンズのガバナンスにつながり、温泉資源の持続的利用に大きな示唆を与えているといえよう。」と結ばれました。


引用はいずれも本講演の要旨書からです

海心堂

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