海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

大分を彩るスポット再発見 ~うわさのタイムトリップ~ 豊後大野ジオパークを巡る(前編)

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大分を彩るスポット再発見 ~うわさのタイムトリップ~

豊後大野ジオパークを巡る(前編)

 別府溝部学園短期大学の主催で、平成30年度地方創生大学等連携プロジェクト支援事業として実施された、おおいた豊後大野ジオパークを巡るバスツァーに参加しました。

 9/28(金)に大分市のホルトホールで事前学習会が開催され、日本文理大学の杉浦教授より「ジオパークによる豊後大野市の持続可能な地域づくり」の講義と、大分県教育庁文化財課の山路副主幹より「全国最多の石橋群、石仏群(磨崖仏群)など地域資源の概要」の講義を聴講しました。

 そして10/8(月)、台風25号の接近で開催が危ぶまれましたが、幸いにも秋晴れの好天に恵まれ、杉浦、山路の両先生と溝部学園のスタッフの方々、日本文理大の杉浦ゼミの学生さん、参加者一同の総勢約40名は、溝部学園のスクールバスに乗り込み、勇躍、豊後大野市に向けて出発しました。


 最初の訪問地は千歳町の「大迫磨崖仏」です。国道57号線から30段ほどの急な石段を上った先に、知田火砕流堆積物(約60万年前に現在の由布岳あたりにあった火山が噴火し、由布川火砕流が大野山地を飛び越えて降り積もったもの)の断崖があり、像高3.2mの大日如来の坐像がありました。高さ5m、幅6mの石窟に覆屋が掛けられているので、堂内は薄暗く少し不気味な雰囲気がします。




 ここの岩壁はもろい性質のため、大まかな像を彫った後に、麻を混ぜ込んだ粘土を塗って作られています。製作年代は諸説ありますが室町時代説が有力で、日羅の作といわれます。ただし、この地の他の磨崖仏に比べ製作年代が新しく、日羅作は伝説に過ぎない様です。「県の有形文化財」に指定されています。

 大分県中部から南部に残る磨崖仏は、阿蘇カルデラの4度目の大噴火の火砕流が冷え固まって出来た溶結凝灰岩に彫られていますが、加工に適した弱溶結凝灰岩や非溶結の凝灰岩露頭が選ばれています。仏を彫るのに適した岩壁を求めて、山野を駆け巡った先人の姿を思うと胸が熱くなります。




 次に訪れた「菅尾磨崖仏」は豊後磨崖仏の白眉ともいえる優れた石仏で、ふくよかなお顔つきや柔らかい肩の線など、平安中期に都で流行した定朝様式を取り入れており、「国の重要文化財」と「国の史跡」の二重指定を受けています。




 百余段の急な石段を上ると、見晴らしの良い平地が開け、そこに幅約9m、高さ約4m、奥行約2mの覆屋がかけられた岩窟があり、5体の石の仏が掘られています。




 向かって左から千手観音、薬師如来、阿弥陀如来、十一面観音の4体で、像高174~191cmです。お顔や腕、胸、光背に赤い顔料が塗られていますが、文化財指定前に住民が信仰の対象として塗ったものだそうです。ただし、製作時に表面に金を塗る下地として赤い顔料が塗られていて、時を経てもそれが残っていたので、住民によって繰り返し塗り重ねられていたとも考えられるそうです。





 この地にこのような優れた磨崖仏が作られた背景には、平安時代に豊後武士団として活躍した緒方三郎惟栄率いる大神一族の存在があったと考えられます。



 左端にやや小ぶりの毘沙門天像が彫られていますが、4体に比べ彫の浅い半肉彫りで、後の時代に追刻されたもののようです。


(中編につづく)

海心堂

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