海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

大分を彩るスポット再発見 ~うわさのタイムトリップ~豊後大野ジオパークを巡る(後編)

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大分を彩るスポット再発見
~うわさのタイムトリップ~

豊後大野ジオパークを巡る(後編)



 さて、先を急ぎましょう。次は緒方町の「宮迫西・東磨崖仏」です。両磨崖仏ともに「国の史跡」に指定されています。

 おおいた豊後大野ジオパークのサイトを引用します。「宮迫東石仏・西石仏は、阿蘇-4火砕流堆積物の岩壁に彫り込まれた磨崖仏で、昭和9年に国史跡に指定されました。 東石仏の中央の像は大日如来、その右は不動明王像、左は毘沙門天像で、更にそれらの両脇に金剛力士像が彫り込まれています。近年まで牛馬の守り神として地域の人々の信仰を集めてきました。 西石仏は、阿弥陀・釈迦・薬師の如来三尊像で、東・西石仏とも造立の発願者は豊後武士「緒方三郎惟栄(これよし)と推定されています。」





 照明がなく薄暗い中での拝観でしたが、史跡指定前に地元住民によって彩色された顔料が鮮やかに残っているのが印象的でした。ただ、この彩色というかお化粧はお世辞にも上手とは言えず、仏様のお顔が’まぬけ’に見えるのはご愛敬でしょうか。





 西磨崖仏は石材が固く、彫刻も硬質な感があり、東磨崖仏は石材が柔らかいため、彫刻もおおらかに感じました。




 これまで、「国の重要文化財」や「国の史跡」、「県の有形文化財」などの用語を使ってきました。文化財については文化庁が定めた分類があります。建造物や美術工芸品の絵画・彫刻・書跡などの有形文化財のうち、重要なものを「重要文化財」といい、そのうち価値の高いものを「国宝」といいます。

 また、遺跡・名勝地・動植物と地質鉱物などの「記念物」のうち、重要なものを「史跡・名勝・天然記念物」といい、特に重要なものを「特別史跡・特別名勝・特別天然記念物」といいます。


 「菅尾石仏」は彫刻として重要なものであるので「国の重要文化財」に指定され、「記念物」とても重要なものとして「史跡」の二重指定を受けています。一方、「宮迫西・東磨崖仏」は「史跡」としてのみ指定されているのは、彫刻としての価値はそれほど高くはないということでしょう。




 「臼杵石仏」が国内で唯一、「国宝」と「特別史跡」の二重指定を受けているのは、大分県民にとって大変名誉な事なのです。

 大分県内には、「国宝」4件、「重要文化財」83件、「重要無形文化財」1件、「重要有形民俗文化財」4件、「重要無形民俗文化財」7件、「特別史跡」1件、「特別天然記念物」2件、「重要伝統的建造物群保存地区」2件、「重要文化的景観」3件が登録されています。




 次は緒方町の「出会橋、轟橋」で、アーチの長さが日本第1位と第2位がすぐそばに並んでいます。


 「出会橋」は豊肥線牧口駅(現豊後清川駅)が開業した折に鉄道へのアクセスをよくする目的で、大正13年に川の両岸の轟・平石地域の人々が協力して作った人道橋です。径間29.3mは日本第2位です。





 「轟橋」は昭和9年に、祖母傾山系の国有林から切り出される多量の木材を、トロッコ鉄道で運び出すために営林署が作りました。径間32.1mは日本第1位です。営林署が先に出来た「出合橋」を利用しなかったのは、強度が足りなかったのか、名もなき村民が作った橋を使うのは、プライドが許さなかったのか。




 河原に降りる道はすこし険しいですが、是非降りてみてください。深い峡谷とそれを形作る阿蘇溶結凝灰岩の柱状節理、奥岳川の清流とそこに架かる2つ美しいアーチ橋、一見の価値があります。




 今回の訪問地の最後は「沈堕の滝」です。ここの説明もおおいた豊後大野ジオパークのサイト引用します。「室町時代の水墨画家「雪舟」が「鎮田瀑図」を画いたことでも知られる「沈堕(ちんだ)の滝」は、阿蘇-4溶結凝灰岩の岩壁が崩落してできた滝で、雄滝(幅100m、高さ20m)と雌滝(幅10m、高さ18m)の
2つの滝があります。明治42年(1909)、大分~別府間を走る別大電車のために豊かな水量を活用した沈堕発電所が運転を開始。滝の上流部には幅115m、高さ5.5mの沈堕ダムが建設されました。」


 


 別大電車が開通したのは明治33年で、別府停留場(旧別府港前)から堀川停留場(大分市都町)間の約10.78kmの区間でした。当初は別府に火力発電所を作り(現在のゆめタウンの通り向かいのコンビニ・ローソンのあたりに全国2番目の火力発電所として設立)、電力を供給していました。しかし、更なる路線伸延と増便させるためには、より多くの電力を必要としました。そこで、沈堕の滝に水力発電のためのダムを作る事になったのです。




 時は流れて、滝の岩盤の崩落が続き、ダムの堰堤までも崩落する危険性が高くなったのと、名瀑を取り戻したいという地元住民の声に押され、九州電力が対策に乗り出したのは平成8年のことでした。滝の壁面にロックボルトを打込んで補強、河床は根固め工により洗掘を防止、ダム下流のエプロン部も補強。あわせて自然石や擬石を施して、豊後国志に「大野、緒方の二川、諸渓水を導き、ここに至り相合して一になり懸崖より下る。激水急湍、十三条。遠くから見れば氷柱の列、近づけば白い竜が雨を駆るようで、百雷が怒叫、飛雪が虹を吐く」と形容された十三条の姿を取り戻しました。国の登録記念物に指定されています。



 この後、道の駅きよかわで清川町から参加のお母さんと小学4年生の娘さんを下して、大分駅、別府亀川への帰路につきました。




 杉浦先生、山路先生、溝部学園の安達さん、赤木さん、白石さん、杉浦ゼミの学生さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。


海心堂

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