海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

九州人形芝居フェスティバル

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中津文化会館 「九州人形芝居フェスティバル」

 「第33回国民文化祭おおいた2018」「第18回全国障害者芸術・文化祭おおいた大会」の中津市分野別事業として、10/21(日)に「九州人形芝居フェスティバル」が中津市文化会館で開催されました。



 なぜ「中津市」でこの催しが行われるかと言えば、中津市には鎌倉時代に始まった大分県指定無形文化財の「北原人形芝居」が伝わっているからです。

 「北原人形芝居」については、中津観光協会のHPに次のように紹介されています。「毎年2月の第1日曜日に、原田神社で行われる万年願という行事で演じられる人形芝居ですがそのルーツは鎌倉時代までさかのぼります。北条時頼が全国をめぐっているときにこの地で病気になり、そこで、村人たちが一生懸命に看病したところ無事回復しました。病気が治ったことをお祝いした席で、村人が手の甲に目鼻をかき、着物のそで口からそれをのぞかせて楽しんだことが人形芝居の起こりだとされています。また北原人形芝居は人形浄瑠璃「文楽」のルーツという説もあるようです。 現在この伝統芸能を支えているのは、北原人形芝居保存会や三保小学校人形クラブです。この伝統芸能を継承しようと、三保小学校のメンバーが練習に励んでいます。 「翁渡(おきなわたし)」、「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)」など様々な演目があります。 人形芝居の基本は、浄瑠璃に乗せて、頭と右手の担当、左手の担当、足の担当の3人1組で一体の人形を操る三人遣いですが、2001年には、足の指で人形のかかとを挟んで1人で操演する「挟み遣い」が復活しました。「挟み遣い」は全国でも北原人形芝居にのみ伝わる独特の操演法です。」



 本公演では中津市長、市議会議長の挨拶に続き、長崎県波佐見町の「皿山人形浄瑠璃保存会(長崎県指定無形民俗文化財)」による「二人三番叟」で幕を開けました。参加団体はどこも後継者不足に悩まされているようですが、40歳~76歳の12名の会員が伝承に努めているとの事です。



 黒地に鮮やかな若松柄の上衣・袴と烏帽子を着けた2人の三番叟が、鈴を振ったり種をまく仕草を見せたりしながら、全身で激しく舞います。途中で一人が疲れて休もうとするところを、もう一人が励ましつつ自らもこっそり休むという滑稽な場面を挟んで、華やかに舞い納めました。浄瑠璃は竹本鳴子太夫で、清和文楽座を除く今日出演のすべての団体の指導を行っておられます。


 続いてはユネスコ無形文化遺産に登録され、特別出演の「人形浄瑠璃文楽座」です。「義経千本桜 道行初音の旅」をモチーフに太夫、三味線、人形の三業の役割の説明と実演がありました。



 人形遣いは頭と右手を使う主遣い、左手を担当する左手遣い、足を担当する足遣いの三人一組です。主遣いになるには30年にも及ぶ修行が必要だそうです。



 三味線は太棹とよばれる大きなもので、裏には犬の皮、表には猫の皮がはられ、表は毎月張り替えるそうです。



 一方、太夫は義太夫節を語り、たった一人で場面の情景、物語の背景、登場人物全員のセリフを語ります。しかも、マイクなしの肉声です。


 文楽と言えば、人の半分ぐらいしかない人形を3人で操る非効率さと、背景や登場人物全員を一人の大夫が語る不自然さ、伴奏もたった一人の三味線が受け持つというアンバランスさが気になります。歌舞伎にはもともとは人形浄瑠璃のために書かれ、後に歌舞伎化された作品がありますが、セリフは役者がしゃべります。文楽は3人もの人形遣いがおりながら、なぜ何もしゃべらないのでしょうか。そんなことを思いながら、プロの芸の奥深さを感じていました。


 最後に「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」が上演されました。

 午後からの第二部は、佐賀県唐津市の唐津人形浄瑠璃保存会による「絵本太閤記 十段目 尼ケ崎の段」、長崎県東彼杵町の千綿人形座サポーターによる「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」、熊本県山都町の清和文楽人形芝居保存会による「雪おんな(弾き語り)」、福岡市の今津人形芝居保存会による「東海道中膝栗毛 赤坂並木の段」、福岡県福津市の勝浦人形浄瑠璃保存会による「鬼一法眼三略巻 五条橋の段」、大分県中津市の北原人形芝居保存会による「絵本太閤記 十段目 尼ケ崎の段」が上演されました。


 唐津と北原が同じ演目とは、北原は「挟み遣い」の「日高川安珍清姫道行の段」を上演すべきだったのではないでしょうか。

 公演パンフレットに今回出演の7座のうち3座は、過去に北原から指導者を招聘し技量の向上を図ったと書かれています。江戸末期から戦後にかけての事で、北原が人形芝居でいかに勇名を馳せていたかが伺えます。



 どの一座も浄瑠璃と三味線の習練が課題の様で、先の竹本鳴子太夫の指導を仰ぐか、なかには人形繰りしか伝承していない座さえあります。



 人材面でも資金面でも、伝統芸能を守ってゆくのは厳しいようで、しかもプロ集団ではないので、週一回ほどしか練習が出来ないのでしょうね。地方の小さな集落に伝わってきたものなので、中学・高校といったより広い地域を巻き込むこともままならず、地元の小学校のクラブ活動で教えていくのがやっとの現状、それでも残したければ自治体の援助に頼るしかないのかもしれません。

                    この画像は「中津市公式観光サイト」よりお借りしました。


海心堂

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