海心堂の温泉逍遥

日本一のおんせん県おおいた(別府八湯温泉道、奥豊後温泉文化伝)を中心に、九州の温泉(九州温泉道)の入湯記録

地獄ハイキング 「別府~朝見コース」参加レポート(前編)

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地獄ハイキング 「別府~朝見コース」参加レポート(前編) 

温泉マイスター シニアマイスター  甲斐 心也

 NPO法人別府温泉地球博物館主催の地獄ハイキング2019年度の春第3回は、令和元年6月16日(日)、「別府~朝見コース」での開催でした。前夜の激しい雨も上がり、時折強い風の吹く中での開催でしたが、そのおかげで汗ばむ事もなく、快適なハイキングになりました。

 13:30にスタート地点の「別府駅西口」に集合した参加者は、ガイド役の京大名誉教授の竹村恵二先生、事務局の杉本さんとご一家、親子4人で参加してくださった方々など総勢10人に、毎日新聞の記者さんも参加されました。



 スタートしてすぐに電柱の海抜表示板の説明がありました。駅西口あたりで海抜は11.8mです。「ここの地面は」との注意書きがあり、細部にまで気配りされているなぁと感心しました。別府では海抜15mまで避難すれば、まずは安全と言われますので、ここはもう少し山側に避難する必要があるようです。



 画像はありませんが、コース途中の民家に「別府石」の石垣がありました。正式名称は「角閃石安山岩」といいます。「別府石」の説明は、別府温泉地球博物館のHPの「別府温泉辞典」から引用します。「かつて別府のいたるところには、鶴見岳をはじめとする火山から、火砕流や土石流として、流れ出してきた安山岩がころがっていました。現在も、道路工事や宅地造成などで土地を掘り返すと、安山岩の転石がたくさん出てきます。人びとは、それらを別府石と呼んで大事にし、いろいろな石材に使ってきました。 

 

 幸通りに出て、別府市公会堂の前に着きました。幸通りは別府市街地の東西の中間地点を南北に貫く通りですが、北から南に緩やかに下っているのが見て取れます。別府市街地が、西から東になだらかに下る扇状地であることはよく知られていますが、実は南の朝見川断層方向にも下っているのです。



 別府市公会堂の前庭に「千辛万苦の場」が移築されています。ここは明治の元勲「井上馨」が攘夷論者の志士に襲われケガをし、療養のため別府に来た際に隠れ住んだ建物です。慶応元年(1865)に流川通の旅館「若松屋」に逗留した井上は、地元の灘亀親分の子分として匿われました。井上はその恩を忘れず、明治44年に別府を訪れ灘亀の墓前に手を合わせ、「千辛万苦の場」の書をここに掲げました。



 別府市公会堂は1928年(昭和3年)に竣工した現存する鉄筋コンクリート造りの建物としては県内最古のものです。設計は逓信省の吉田鉄郎で、ストックホルム市庁舎を参考にしたと言われています。平成26年に大規模な改修工事が行われ、かつてシンボルであった正面の大階段が蘇りました。



 朝見川にかかる御幸橋に到着しました。朝見川は三面コンクリート張りの二級河川です。別府市には主として6つの河川がありますが、一番北の冷川を除いてすべてこの工法が採られています。川を直線化し、3面をコンクリート張りにする工法は、生物の生息場所を奪い、景観としても味気なく、親水性に欠ける残念な工法です。



 朝見川とその支流の鮎返り川は別府市の水道の水源として貴重なものですが、「鮎返しダムは、昭和20年の敗戦後、進駐軍が別府市にキャンプ・チッカマウガを建設したとき、米軍キャンプに給水するため造られたダムだという。(中略)別府市はしかたなく大分川の水に頼るようになったそうだ。今でも水源の主力は大分県企業局が水力発電したあとの水だが、鮎返しダムの水も発電所の点検のときや台風で水が濁ったときは放流されて水道水になるという。(三浦祥子著 「地獄ハイキング随行記」より)」 別府市の水道事業の秘話をご紹介しました。


後編につづく

海心堂

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